Hey!凡な日々 Vol.2

「おしゃれ」ってなんだろう。

12.21, 2018

ハガキ職人:落合のダッチワイフ
  • essay
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「コラムが上がりました。」

 

編集部の方から、そのような連絡が僕の元に届いた。
確認してみると、URBAN TUBEのサイトに僕のコラムが掲載されていた。
正直驚いたというか、いいのかな?と思った。
何故なら、この前のコラムは書くことがなかったので、正直に書くことがないといった旨のコラムを書いたからだ。

 

追い込まれた時は、遠回しな事をせずドストレートに行くと案外許されたりするものだ。
放物線を描くと着地するまでに、相手に僕をどうにかするための時間を与えてしまうが、直線的に「無理っす。」というと案外押し込めたりする。
急がず回らずという僕のモットーがどうやら功を奏したようだ。
兎にも角にも、自分のコラムが掲載されているのを見て、嬉しかった。

 

そんな余韻を取り上げるかの如く「2本目もそろそろ。」的な連絡が来てしまい、また頭を抱えこんでいる。
前回は一本目だからこそ許されたのであり、今回もまた「書くことがないんです。」なんてのは許されない。
そうゆう「やり方」だと思われたら、そこで終わりだからだ。

 

 

~fin~

 

 

パソコンを開くと、「書き終えました!」と無理くり意地を張ったような文章が画面に映し出されていた。
三日前の僕は限界が来ていたのか「~fin~」でこのコラムを閉じ、完全に終わらせにかかっていた。
横文字を使えば、なんかいい感じになりそうだと思ったのだろう。愚かだ。

 

 

~fin~

 

 

パソコンを開くと、そこには悪ふざけのような文字の羅列が転がっていた。
そうゆえばこれを書いたのはもう5日程も前の事だ。
~fin~のスパンが狭まってきている。ダブルアンコール並みだ。

 

 

~fin~

 

 

と猛烈に打ち込みたい気持ちを抑え、一丁前に何かインスピレーションをと思い、外に出る ことにした。
腹が減ったので、ファストフード店に入り、僕はURBAN TUBEに載っている他の人のコラムを読み始めた。
ためになったり、読み応えがあったりと様々だったが、全コラムに共通していたのは「おしゃれ」だということだ。
僕は「おしゃれ」が分からないので、正確には「おしゃれな感じがする」という表現が合っているのかもしれない。

 

 

この「おしゃれな感じがする」という気持ちは、何をキッカケとして生まれてくるのだろうか。

 

 

そもそもお洒落の語源は何なのだろうと調べた所、一説によると「戯れ」という所からきているらしい。「戯れる」という事は機転が利くということ。つまりは垢抜けているということになるそうだ。

 

「機転が利く」か。成る程なと思った。
ただただ人と違う格好をすれば「おしゃれ」という訳ではない。だが、皆と同じ格好をしていても「おしゃれ」とは言えないような気もする。
「機転が利いてるな」と思えるという事は、理解が出来たという意味である。
即ち、「理解の範囲内」ということになる。
つまり「我々が理解出来る範囲内」で1つ抜けるというか、どこか共感を覚えることができつつ「この手があったか!」と思わされた時に、人々はそれを「おしゃれ」と呼ぶのではないかと思った。

 

これはおしゃれなのか、はたまたNOTおしゃれなのか、という判断を下す際に、頼りになるのは自分の中での「理解の範囲内/外」という点が大きく関わっているように思えた。
人々の根底には共通の意識が流れていて、そこに触れたものが流行を生むことができる。といった旨が書いてあった本を僕はふと思い出した。
それがそうなのであれば、先程言った「理解の範囲」というのは、人によって差異があるようにも思えるが、奥底には同じものが流れているということになる。
その最深部にタッチすることが仮にもし出来たら、人々が未だ気づけていない「感性」らしきものを、自らの手で刺激し人々に分からせることが出来る。
この気付きこそが「センスであり、はたまた真の「おしゃれ」なのではないか!絶対そうだ!!そうに違いない」と、文章が神がかって参りました所で、己の足元をふと見るとそこには便所サンダルが二足。
僕はサンダルから両足を離し、宙で足首をブラブラさせながら、ハンバーガーを食べ、そしてスマホでこの文章を書いている。何だか自分が滑稽だなと思い、そこで興が冷めてしまった。

 

 

そもそも我々は何のために「おしゃれ」をするのだろう。

先程から述べている「理解」とは他人ありきである。
では他人抜きでは「おしゃれ」というものは、成立しないのではないかという疑問が浮かんだ。
この世界が僕一人であった場合、僕は服装や髪型に気を払うのだろうか?
答えはNOである。全裸だ。
他人はどうなのだろうかと疑問に思い、LINEを開き、僕が一番おしゃれだと思う女友達にすぐさま同じ質問を送ってみた。
すると彼女は、
「この世界に私一人でも服装に気を払う。何故なら自己満足だから。」と答えてくれた。
この世界に僕と彼女二人きりでなくて本当に良かったと思った。
もしそうだったら、彼女は洒落た服を着ていて、僕は服を着ていない。
そうなると、僕は途端に服を着だすだろう。何故なら彼女に「ダサい人」「気を使えない人」「非常識な人」だと思われたくないからだ。
他者がいることによって、TPOが生まれたり、比較が生まれたりする。
この世界から大勢の人がいなくなっただけで、僕は面倒だと思いながら嫌々服を着るのだ。彼女は好きで服を着ているのに。そう考えると何だか不思議だ。
幸い現実の世界では皆が服を着ているため、僕も何の疑いもなく服を着ている。
とにもかくにも、他人がいないと「おしゃれ」というものは面白味に欠けるなと思った。

 

先程からおしゃれおしゃれと連呼しているが、自分はどうゆうものをおしゃれと感じるのだろうかと考えた時、何か「アジ」のあるものだなと思った。
この前代官山にとあるバンドのライブを見に行った時、街自体に対して洒落ているなと感じた。
がそこにいる人々は全員が作られたような、記号的な格好をしているなとも思った。無味無臭というか、生活感を一切排除したような感じだ。
ライブが終わると、皆一斉に代官山から離れていった。
その時「ああ、代官山ってないんだな。」と考えた。
そんな話を知人にした時、「本当におしゃれな人はいるんだよ。僕はそうゆう人を知っている。代官山はあるんだ。」と言っていた。
その後「代官山がいかにないか」を熱弁したのだが、知人の話を聞いている内に、本当は代官山はあるのではないかという気がしてきた。
結局未だ、代官山があるのかないのかは僕には分からない。

それにハンバーガーもポテトもすでに食べ切ってしまった。
外は雨が降りそうだ。
とてつもない疲れに襲われそうな予感がしてきた。慣れないことを考えふけこんだためか。スマホで「お」と打つと予測変換で真っ先に「おしゃれ」というワードが出てくる。こんなことは生まれて初めてだ。一生分で使うはずだった「おしゃれ」という単語を、今この場で使い切った気がする。
僕は便所サンダルを履いた足でチャリのペダルを漕ぎ、歩行者を颯爽と抜きながら、洗濯物を取り込みに急いで帰路へと着くのだ。
その瞬間がたまらなく自分でもカッコイイと思う。おしゃれだ。

 

 

~fin~

 


 

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Profile

  • 落合のダッチワイフハガキ職人

    「お笑い芸人になりたい」と思い、新卒2ヶ月で勤めていた銀行を退社。
    プールサイドというコンビ名で活動中。
    毎週日曜21時からインターネットラジオ「プールサイドの25Mラジオ」を生放送中。趣味はラジオ投稿。
    現在はコンビニでバイトをしながら。日々の生活を楽しんでいる。