Hey!凡な日々 Vol.3

「歯磨き1か月禁止条例」を制定する。

1.9, 2019

ハガキ職人:落合のダッチワイフ
  • essay
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本日から「歯磨き1か月禁止条例」を制定する。
制定されてからのことは、ほとんど記憶がない。
強いて言えば、口の中の圧倒的な違和感のみ覚えている。
「流石に汚すぎるぞ!普通に考えろ!」という誰かの勇気あるデモによって「歯磨き1か月禁止条例」があっさり明日に廃止されることが決定した。

 

朝。台所の小窓から光が差し込んでいた。
一ヶ月振りに歯ブラシを手に取る。ああ、どこを握っても、長すぎず短すぎない。素晴らしい。私は涙を流しながら歯磨き粉の蓋を開ける。
久しい歯磨きに「歯を磨く」という感覚はなかった。
「口に運ぶ」といった感じだろうか。
「からっ!!!」
嬉々として、私は叫ぶのだった。

「失ってから初めて気がつく。」という過ちを、人間は何度繰り返せば気がすむのだろうか。

 

我々が気がつかない限り、「君がいなくなってから、はじめて愛していたことに気がついたの。」

だなんていう、あまりにも甘すぎる曲がヒットチャートに蔓延してしまうことになる。

何てベタなんだとイライラすることもあるのだが、疲れている時や精神的に参っている時にテレビから流れる「失ってから気づいたの」系音楽を聴くと、グッときてしまうことがあるから困る。

誰にでもあることだから刺さりやすいのかもしれない。

 

「失ってから初めて気がつく。」は、ほとんどの人間が経験しているはずだ。

家族や恋人との別れで語られることが多いが、もっと身近なもので言えば定期や家の鍵、お気に入りのボールペン、USB、挙げればキリがない。

これらを失っている最中「もし再会することができるのであれば、二度と君を手放すことはないだろう。」と誓いを立てる。だが数ヶ月後には、普段着ないダウンジャケットのポケットに家の鍵は入ったままで、それを忘れた僕は「もし再会することができるのであれば、二度と君を手放すことはないだろう。」とまたも心に誓うのだ。

 

「失うよりも事前に気がついていました。だから好きです。手放しません。」という曲がもっと出てきてもいいと思う。

 

実際のところ「失う前にその価値に気がつく」というのは非常に難しいと思う。だが我々はすでに「失った時に感じる価値」を想像することができるのではないだろうか。

自分の大切な人との別れを想像してみてほしい。

「どれくらい悲しいか。どれくらい好きだったか。」ということを予想できはしないか。

「別れたくない」と思うのは、別れた時の「悲しみ」をある程度把握できているからではないか。

では、何故把握はできているのに、人は「失ってから初めて気がつく」のか。

 

それは「慣れ」にあると思う。

 

繰り返しというのは非常に恐ろしいもので、人間は同じことを一定数こなし続けると「慣れ」が生じてしまう。

「慣れる」というのは「気付き」の先の状態だという風に僕は捉えている。

慣れた電車に乗って年末実家に帰省した。

僕は18歳の時に茨城県から上京してきた。

茨城にいるとこのまま時間が止まってしまいそうという曖昧な理由で、何の目的もなくただ東京に行きたかった。

経済的なことなどは度外視で、無理を言って東京の大学に入れてもらった。

一人暮らしが始まった夜、親と暮らせる時間はこんなにも短い期間なのだなと驚いたのを覚えている。

 

家に寄る前に通っていた高校の通学路を歩いてみた。

毎日自転車を漕いで通っていた道とは思えないくらい新鮮で、懐かしさが芽生えなかったことに驚いた。

いつも使っていた自販機、必ず前を通るコインランドリーの看板の色、大きな畑、何もかもがかつて見ていたものと違って見えた。

通っていた頃何とも思わなかった風景が、今の僕にとってはどれも美しいものだった。

懐かしいとも違くて、新たな発見とも違う。この気持ちは何なのだろうと考えていたとき、レディ・バードという映画を思い出した。

 

 

主人公のレディ・バードは今住んでいる街がダサくて嫌気がさしている女子高生。

レディ・バードが書いた「自分が住んでいる街のレポート」を読んだ、高校のシスターが放った言葉がとても印象的だった。

“愛情と注意を払うというのは同じことじゃない?”

そして上京が決まったレディ・バードが車の免許を取り、いつも通っている街を初めて運転した時に、街の風景が切なく映る。

 

 

この映画は「青春映画」と評されることがある。

「青春」の正体は未だ分からないが、学生時代の自分と今の自分で全く違う点がある。それは「思い出」を意識しているか、していないかということだ。

学生時代を振り返るとどれもいい思い出ばかりなのだが、あの頃は何も考えていなかった。でも今の僕は旅行に行ったり、友人と深夜にファミレスに行ったりすると「ああ、これはいい思い出になるな。」と考えてしまう。

つまり、過ぎ去っていく時間に注意を払い、それが失われることに気づいてしまっているのだ。

 

実家に帰ると母親の老いを感じることが多々ある。

それは一緒に暮らすことがなくなったからだ。

母親の変化に敏感になっている自分がいる。

 

学生時代はそんなこと気づきもしなかった。それはきっと何かを失う予感がしなかったからだ。

高校を卒業してから25歳になるまで、僕は多くの人と別れた。

だから気がついた。そして今になって彼、彼女という存在に注意を払うのだ。

失う前に気づこう。

 

 

上京してそんなことを思いました。

 


 

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Profile

  • 落合のダッチワイフハガキ職人

    「お笑い芸人になりたい」と思い、新卒2ヶ月で勤めていた銀行を退社。
    プールサイドというコンビ名で活動中。
    毎週日曜21時からインターネットラジオ「プールサイドの25Mラジオ」を生放送中。趣味はラジオ投稿。
    現在はコンビニでバイトをしながら。日々の生活を楽しんでいる。