Hey!凡な日々Vol.5

大学時代の4年間、僕はひたすらラジオに投稿していた。
気がつけば、ハガキ職人と呼ばれるようになっていた。
最近はなんだか気分が乗らない。

2.15, 2019

ハガキ職人:落合のダッチワイフ
  • essay
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ラジオ程、内向的なメディアは他にないかもしれない。

深夜の秘密基地感が魅力だ。説明が一切なく、初めて聞く人のことが考慮されていない。その不親切さが魅力でもあり、盗み聞きのようなところから始まって、気がつけばその基地の住人になっていたなんてことがよくある。

ラジオは体育会系のニオイがしない。快晴でもどしゃ降りでもなく、曇り。

雨が上がった後のジメジメした雰囲気を持つ。

そのジメジメした何かに引き寄せられたリスナー達もまた湿気を帯びている。

僕もまたそのうちの一人である。

 

大学では友達が全くできなかった。

昼食の時間は一度家に帰り、一人でご飯を食べてからまた大学に向かっていた。

その日の講義を全て受け終えたら、誰にも目もくれず素早く帰宅していた。

帰宅し、ぼーっとしたり、ゲームをしたり、ケータイをいじったり、一回寝たり、風呂に入ったりしている内に必ず0時45分になる。僕は引越し前に母親に買ってもらったラジオをつけ、1時から始まるJUNK、オールナイトニッポンに備える。ラジオは必ず朝5時まで聞いた。それから少し寝て大学に行ったり、行かなかったりした。この生活を毎日繰り返した。

僕以外のリスナー達もまた、僕と同じように大学にうまく馴染めなかったりしている人ばかりのように思えた。1時から5時までに流れるこの周波数の中では、それが正しかった。集団生活にうまく馴染めない自分がマイノリティーな存在であるような気がして、特別だと思えたし、それが気持ちよかった。

一歩引いては斜に構えて、物事を斜めから見る。決まった角度の見方があって、それに乗っ取ってラジオで読まれるためのネタを作る。

いつからかその角度がクセになって、気がついた頃には首が回らなくなっていた。気がつくと視野が狭くなり、物事を否定的な目で見ることしか出来なくなっていたのだ。

その時は別にそれでいいと思えた。

僕は学生の頃、女子を敵だと思っていた。理解不能だったからだ。

女子のこうゆうところが嫌だとかなんだとか、様々な視点で切り込んでネタにしていた。

ある時友人に、痛々しいポエムと共に自撮りを載せた女の子のツイートをスクショしてLINEを送った。

友人から「可愛いね。」と返信が来た。めちゃくちゃ悔しかった。

僕は「お粗末で面白くない?」という旨で画像を送ったのに、向こうはそれを可愛いと言ったのだ。

自分がものすごく野暮に思えたし、浅くてつまらない感性をしているなと思った。

「可愛いね。」と言えてしまう余裕感。逆にものすごい上から目線にも感じるし、そうでもないようにも捉えられる。どちらにせよ僕がやっている角度より先がありそうな気がしてならなかった。

 

ラジオではよく「ブス」が笑いになる。

僕も色んなブスを送っていたし、十人十色なブスが読まれるコーナーを聞いて笑っていた。

でもなんか違うなと思い始めた。浅く感じた。

ラジオに投稿することがなくなってきたのは、その頃からだったと思う。

 

今の僕はあの頃と面白いと思えるものが全くもって違っている。

斜に構えることが出来なくなってしまったのだ。角度をつけようとした瞬間に、頭の中でカチッと音が聞こえて、急激な照れが生じる。

物事を斜め目線で見ると、さも全体像を捉えられているような錯覚に陥る。

だが実際見えているのは、ほんの一部分である。更にそこに否定的な目線が加わるとそれはより狭いものとなり、全体を無視したものとなってしまう。

咀嚼することを拒み一切飲み込まない。表面的な切り取りで、奥行きが見られないのは当然のことだ。

 

例えば、「渋谷に集まるサッカー日本代表のサポーター」に対して、イヤな目線を向けようとする。

「普段からサッカー追ってるのかよ。」

「飼っている愛犬ガリガリそうな女ばっかじゃねえか。」

「社会人になってから学生時代働いていた居酒屋のバイト先に行って店長に「最近どうすか?」とか、OB顔で聞きそうな奴等しかいねえな。」など、無限にできる。

 

しかし、「渋谷に集まるサッカー日本代表のサポーターっていいよね。」の一言の方が辛辣で深く刺さっている気がするのはどうゆう訳なのだろうか。

それが何故かは今の僕にはわからない。

 

 

否定するのは悪いことではない。

たまに勘違いをして、肯定ばかりしている人がいる。

一切信用ならない。

この前、

 

「若者に「老害」と思われないためには、きちんと若者の文化を理解しなくてはならない。TikTokを見たが中には面白いものもあった。」

 

みたいなツイートが伸びているのを見た。

かなり危険だ。理解と肯定がごっちゃになっているおじさんが一番キツイ。

これは個人的な見解だがTikTokに面白いものなんて一つもない。

これは否定ではなく僕が見た事実だ。

「否定」するということは別に「間違っている!!」ということではない。

「俺のとは違う。(僕の言葉ではない。)」というだけのことだ。

自分の中でいいものと悪いものは明確に区別しなくてはならない。

 

去年の年末、バイト先の本社の忘年会に数合わせで出席することになった。

出し物で、フラッシュモブダンスをやると聞いた時は、脳裏に「退職」の2文字がチラついた。

フラッシュモブダンスをやる人は、偏差値が4から7だと聞いていたので、IQが8万ある自分が参加するなんて信じられなかった。

各自練習するようにとバイト先のパソコンに本社からメールが送られてきて、添付ファイルをクリックすると、狭い倉庫でおじさんが、さっき考えたようなダンスを一人で繰り広げている動画が流れ始めた。8分の動画は「失笑」の2文字で容易に片づけることができた。

 

忘年会当日、僕は仕事が終わると急いで会場に向かった。

本番の2時間前から行われるリハーサルに参加するためだ。

僕しかいなかったことに驚愕した。

仕方なく動画に晒されていた、おじさんと1時間舞いに舞った。

「すいません。」と何故か互いに遠慮しあっていたのが、自分でも笑えた。

おじさんのダンスは見るからに下手くそだったが、かなり練習してきたのであろう形跡を容易に感じることができた。

僕とのリハーサルの後も、おじさんは黙々と一人練習を続けていた。

動画を見て失笑した自分を、その時少し恥じた。

 

本番は、至極当然の如くフワッとした。

自分でも意外だったのが、こうゆうのも悪くないと思ってしまった事である。

ダンス自体は痛々しいものであったし、サムかったのも事実だが会場は大いに盛り上がっていた。それでいいんじゃないかと思った。

帰りトイレで隣になったので、「とっても良かったです。」と声をかけてしまった。

おっさんに対して、あらゆる角度から切り込む事も出来るが、おっさんが家で誰よりも練習してたり、他部署からの「やってらんねえよ」に堪えたり、奥さんに相談したり、前日誰よりも不安だったりしている所を考えると、やはりそれは出来ない。

良かったと思ってしまった以上は良かったと言いたい。

 

僕は物事を斜め目線で見る笑いに対して、面白いと思わなくなったのではなく、思えなくなった。

これは単純に笑える事が一つ減ったと考えていいのだろうか。

僕は妬みや恨みを土台に笑いを作っている人が嫌いではないし、そこを突き詰めればちゃんとそこにも何かがあると思う。

でも僕はもういい。

そっちに行けなくなったという話であって、それを否定している訳ではない。だからそれが出来ていた時に、もっと色んなものを作っておけば良かったと思った。もう二度とあの頃の感性に戻ることはできない。

 

なんだろう。最近。お皿を洗ったり洗濯をしたりすると、疑いようのない幸福感のようなものを感じる。

家事を済ませてから家を出ると、通勤路にいつも咲いてる花がより美しく見えるのは何故なのだろう。

 

カレーを作ろうと思って、夕方にスーパーに行く。

たくさんのママチャリが止まってたり、カゴを持った彼氏の後ろを怠そうな姉ちゃんが付いて行っていたりするのを見て、一生この時間が続けばいいのにと思ってしまう。

それぞれにこういった時間帯や空間がある事を知って、より一層「イヤ」な目線を人に向けたくないと思った。

だけど作れるものも減ってしまった。

「結婚式」というネタを書くとしたら、あれが嫌だ、これがおかしい、恥ずかしいと始めるのだが、一向に手が進まない。

結婚式って素敵だよねと僕は言いたい。

 

25歳。僕に、何が起きているのだろう。

 


 

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Profile

  • 落合のダッチワイフハガキ職人

    「お笑い芸人になりたい」と思い、新卒2ヶ月で勤めていた銀行を退社。
    プールサイドというコンビ名で活動中。
    毎週日曜21時からインターネットラジオ「プールサイドの25Mラジオ」を生放送中。趣味はラジオ投稿。
    現在はコンビニでバイトをしながら。日々の生活を楽しんでいる。