Hey!凡な日々Vol.11

もう一度だけスーツを着て、辞めた会社に行きました。

5.15, 2019

ハガキ職人:落合のダッチワイフ
  • essay
Share on

僕は会社を新卒2ヶ月で辞めた。
あの時のことを思い出すと今でも胸がウンヌンカンヌン、みたいなとこからいつもだったら始める訳だけど、なんかもうそういったことを書くような気持ちが最近は特に起こらなくなってしまった。文章を書く頻度が増えてから、若干のテクニックのようなものを持つようになった気がする。書き始めた頃は思いの丈をウワァァァってな感じで、ひたすら書き殴っていた。それを面白いと言ってくれる人達がいると、この「面白い」をまた書くためにはどうしたら良いのかと考えるようになる。何度も試行錯誤を繰り返していく内に、前よりかは文章が洗練されていっているのが自分でも分かった。と同時に、人工的なというか嘘くさいようなニオイが文章から漂ってくるのを感じるようにもなった。自分の身の丈にあった言葉で、その時の気分とかによって右往左往するような文章がやっぱり面白いのではないかと思う。

 

僕は今、ただ単に数年前の夏のことを思い出して、「そんなこともありましたな〜」と黄昏たい気分なのだ。よって今回は、お涙頂戴一切排除の、思い出プレイバックコラムとなる。最後まで付き合ってくれたら嬉しい。

思い出したい数年前の夏というのは、冒頭でも出たように新卒として働き始めて一ヶ月が経過した、22歳の5月、夏のことである。その年の1月。様々な事情が絡み合った結果、芸人を目指していたのにも関わらず会社勤めをすることになってしまい、更には3年振りに母親と犬と共に生活することになった。もう一度家族と生活出来ることは嬉しかったが、これから先の自分の人生が、望んでいないレールの上に乗っかってしまった気がして、とてつもない不安を抱えたまま4月になった。

 

4月は、ひとまず何も考えずに職場に通うことにした。僕にこれからのことを考えさせる余地など与えまいと、地球はものすごい速度で回った。が、5月からはゆっくりと回るようになった。仕事に慣れてきたせいだろうか。そうなると、4月の地球のような速度で今度は僕の頭が回転しだした。ありとあらゆる角度で様々な事柄を考慮した結果、叩き出された答えは「どうしようもない程に辛い」「絶対に辞めなくてはならない」「マジで辛い」のこの3つであった。

 

結果的に言うと、母親が東京に慣れないということで実家に帰ることになったタイミングで仕事を辞めた。母は地元へ、僕は住み慣れた街へと戻った。6月のことだ。その一ヶ月前の初夏。様々な思いに揺られながら、鶴見から天王町まで毎日電車で向かう俺。なんかいいね。

 

つい先日。ネクタイの結び方を覚えていたことに少し驚いた。鏡に映るスーツ姿の自分が新鮮だった。同行してもらうカメラマンに、本日よろしゅうとのLINEをすると、明日かと思ってたと返事が来た。気持ちが少し軽くなった気がした。

 

スーツを着て、重々しい気持ちでいたのは、これから母親と犬と暮らしていた鶴見の自宅、そして働いていた職場がある天王町へと向かうためである。二度と行くことはないと思っていた場所だが、この機会にもう一度だけ行ってみようかと思ったのだ。誠に勝手ながら、今回のコラムを使って、あの時と今のことを文章で記録したいという思いに駆られた。

僕はスーツを着て、家を出た。カメラマンとは正午に鶴見駅で待ち合わせをしていた。南武線に乗るのは久しぶりだった。あまり良い記憶がない。仕事を辞めた時大きな誤算があって、それは辞めますといった当日にサクッと辞めれてしまったことだ。母親が地元に戻るまで二週間近くあった。母親には仕事を辞めたことを未だに言えていない。言ってはならない理由があるのだが、それを書き出すとしみったれた文章になってしまうので今は避けることにする。

 

僕はその二週間ものあいだ、行ってきます!!!とスーツを着て家を飛び出しては、そのまま友達の家に向かうという日々を送っていた。リュックの中にはジャージと半袖のTシャツが詰め込まれていて、友達の家に着くとスーツを速攻床に投げ捨て、日曜の午前11時のような格好になっていたのである。仕事が終わる頃になると、また明日な〜とか言って、友人宅を飛び出して自宅へと向かった。友人宅へ向かうには南武線の電車に乗る必要があった。当然、友人宅から帰る時もだ。

 

南武線の上で僕は楽観的だった。でもその奥底に、罪悪感とか不安とか、とても正面からは対峙できないような感情がうごめいているのも分かっていた。だから楽観的にいたのだ。特に鶴見へと向かう友達の家からの帰り道は、どんどん現実に向かっていっているような感覚があり、思わず、助けて!!!と叫びだしたくなったことが何度かあった。昔ながらの定食屋のような殺伐色の車内の照明を見て、そんなことを思い出した。川崎駅で降りて鶴見駅のある京浜東北線に乗った。僕は電車の中でカネコアヤノを聞いた。めちゃくちゃ良かった。

 

これからの話をしよう。だってさ、最近の僕のテーマでもある。

鶴見駅について、カメラマンと合流した。この街は、ずっと曇っている。晴れていた日の記憶がない。無数に並べられている自転車を見るとものすごく疲れる。人々の目的の数を一台一台の自転車が表しているように見え、うんざりするのだ。鶴見駅には、生活するための必需品が詰まっている。駅から離れるとコンビニがポツポツある程度だという印象がある。バスターミナルがなんか嫌だった。僕を不安な気持ちにさせる。無機質な巨大な機械が、蛇のようにゾロゾロ地を這っている。

 

とにかく落ち着かないのだ。当時から僕は鶴見駅をあまり好きになれなかった。きっと、ずっとそんな気分でいたからだと思う。店内が薄暗くて蒸し暑いレンタルビデオショップの前を通り、自宅へと向かった。

 

僕が住んでいた家は、鶴見駅から伸びている一本の上り坂の頂上にある。この上り坂はとても好きだった。歩を進めれば進める程、木々が生い茂っていく。明日が憂鬱にならない程度にあれが嫌だったなとか、同期面白くねえな、とか考えながら、坂を登る。頂上に近づくと、同じ目線の高さに住宅街が広がって見えて、皆もこんな気持ちなのだろうかとよく考えていた。
バスが横を通ると風が吹いた気がして、明日が遠のいていく。今はバスが横を過ぎても、いいねと思うだけだから不思議だ。歩きながら、もっと上手く出来たんじゃないかとか、母親を傷つけたこととか、そんなことを思い出した。やっぱり僕にとってここはどんよりとした街だ。

  • 01

  • 02

  • 03

  • 04

  • 05

  • 06

前に住んでいた家の前に着いた。何も思わなかった。いい家に住んでたなあ〜〜と思って、すぐに飽きた。もっと感慨深いような気持ちになるかと思っていたが、家までの道のりの方が僕的にはグッとくるものがあった。

毎日行っていたコンビニに寄って、サイダーを買った。同行してくれたカメラマンはペプシかなんかを買っていた。家を見ながらサイダーを飲んで、都合の良い記憶ばかりを思い出した。それ以外のことは忘れてしまったようだった。家のベランダから住宅街の方を見渡すと、遠くの方に青い海が見える。日曜日だった。あの海を目指して歩いてみたいと思って、朝の8時に家を出たことがある。結局海は見れなかったけど、とても良い道だった気がして、あの時と同じ道程を歩いてみたいと思った。カメラマンとこれからの話とか最近あったこととか、そんな話をしながら、どこまでも続いてくであろう閑静な住宅街を歩いた。目の前で、下校途中の中学生が、じゃーな!と友人に別れを告げて、家の中へ入っていった。玄関が開いた時に、奥から帰ってきた!という声が聞こえた。もうここまででいいやと思って、通っていた会社に向かうことにした。

鶴見駅に戻り、天王町へ向かうために電車に乗った。心臓がバクバクした。会社の人に出会ってしまったらどうしようという不安と、通っていた頃のジメッとした記憶が蘇ってきたからである。満員電車が何よりも嫌だった。朝は、全員が疲れ切った顔をしている。誰かのため息のせいで、行きたくないという気持ちに追い風が吹いて、イライラした。スーツは鬱陶しくて仕方がない。外部の人間がいない社内で、どうしてここまで機能性に欠けた衣服を、身に纏わなくてはいけないのかが今でも理解できない。理解が出来た時、僕は全てを失うと思っていたし、今も思っている。だからスーツは着ない。

横浜駅に着き、相鉄線に乗った。向かいに座ったカメラマンが僕に向かってシャッターを切っていた。仕事を辞めて、スーツを着て、かつての勤務地に向かうって何なのだろう。もうどうにでもなれという気持ちで、外の景色を眺めた。不思議と、出勤します!!!という気持ちになるから驚きだ。

 

天王町駅に着くと、遠くに巨大なビルがそびえ建っているのが見える。朝の8時になるとビルの周囲にある駅に降りた大人達が、皆そこへと一斉に向かう。ビーチフラッグみたいだなと当時思った記憶がある。

 

駅に着いたのは14時頃だったので、街に人影が見当たらなかった。当たり前だ。人々はあのビルに詰まっているのだから。ひとまず行けるとこまで、行ってみようと思った。駅からオフィスまでは、一本道。電車の中で、先輩と遭遇してしまったらどうなるのだろうかと考えた。辞め方は割と最低だったと思う。色々なパターンを考えたが、恐らく「気さくに話しかけてくる。」が可能性として一番高いように思えた。一番不快な対応である。

 

おお、落合、元気してたか?的な、過去のことは水に流しましたみたいな、お前今何してんの?という一見世間話かのように思えて、後に酒の肴するための質問とか、そう言ったことをあいつらはしてくるに違いない。とゆうか、してきた。もうされた。頭の中で。もの凄くイライラしてきた。早上がりの先輩がいたら一発アウトだなと思った。会社に向かっている途中、何度もスーツを着た大人達とすれ違った。その度、知った顔か!!??と胸騒ぎがした。

オフィスの前に辿り着き、オフィスと僕の2ショット写真を撮った。なんとなしにエントランスの方を見ると、同期が入っていくのが見えた。一番苦手だった奴だ。こいつは帰り道、「落合のことを助けてやりてえよ。」と僕に言ったことがある。ありがとうとは言ったものの、その日の風呂の中で、そうゆえば一言も「助けて。」と言っていないということに気がつき、次の日から彼を敬遠するようになったのを思い出した。彼はまだ初々しかった。

 

以前このコラムでも触れた「会社を抜け出そうとして石にされた人」をもう一度見ようと探したのだが見つけることが出来なかった。きっと、抜け出せたのかもしれない。

  • 01

  • 02

  • 03

勤めていた頃の5月。僕は会社で昼食をとることが不可能な身体になっていた。食堂で下世話なワイドショーが流れていて、それを見ながらパクパクパクパク飯を食っている上司の顔が滑稽で仕方なかった。他人の人生と飯が好きだなんて卑しいにも程がある。同期と毎回飯を食わなくてはいけないのも、嫌で嫌で仕方がなかった。時間をつぶすような会話をしなくてはならない理由が分からなかったし、とにかく会話が面白くない。以前も言ったが、この世の同期は面白くないものだから仕方がないと言えば仕方がないのだが。そもそも職場で面白くいる必要性がない。のであれば、面白いことを言おうとしないで欲しい。僕の、面白いかどうかを判断するセンサーを稼働させる奴に問題がある。とか言いつつも、人間関係!人間関係!僕は好かれるような振る舞いを徹底していた。かと言って、同期の発言に心の底から笑えるようになっても終わりだなと思っていた。それは単純な麻痺だからである。なので心の底で、本当につまらないんだね。君って。と思いながら、表面上では「ギャハハハハハ!!!!!」と口から米を飛ばしながら笑うもんだから、僕の心がすり減ってしまうのもまた致し方がないことであった。あとは単純に「後半働くためのエネルギーを養う人達が集った空間」が気持ち悪いと思った。

 

僕は5月の頭くらいから、昼食時間になるとオフィスの外へ飛び出すようになった。同期にはタバコを吸いに行くと言っていた。その時はもう固形物が喉に入らなかったので、公園のブランコに座っていた。なんかの音楽を聞きながら、ブランコに揺られボーーッとしていた。それだけ。公園に流れる時間はとてもゆっくりだった。

公園に足を運んだ。懐かしかった。数年前の夏にブランコを漕いでいる自分の姿が、誰も座っていないブランコに重なった。僕はかつての僕を見て、可哀想な奴だなと思った。当時この公園では、自分の声がよく聞こえた。本心を何度も押し殺しながら、時折ブランコを思いっきり漕いだりして終業時間を待った。22歳の僕を抱きしめてやりたい。可愛い。

  • 01

  • 02

  • 03

最後にオフィスをぐるっと一周回ることにした。途中、とんでもないオブジェを発見した。「会社を抜け出そうとして石にされた人」がいた場所とちょうど反対の位置にあった。何かのメッセージを感じられずにはいられない歪さ。巨大鎖で岩石を縛る。何を意味しているのだろう。

 

このオブジェを破壊することで、「会社を抜け出そうとして石にされた人」にかけられた呪いが解け、晴れて彼は自由の身になれるのかもしれない。とにかくなんか、凄まじかったのだ。

オフィスが割と大きくて段々と歩くことに飽きてきたので、何か有益なことを考えながら歩こうと、確定申告について考えていると、カメラマンが突如あった!と叫んだ。

 

あったのだ。

 

お前まだ石だったんだな!?徐々に動いてんじゃねえか?反対のあのオブジェは!?やっぱりそうなのか!?と色々聞きたいことはあったのだが、あまり調子に乗っていると誰かに見つかって、僕まで石にされてしまいそうなので、彼には「先で待ってるぜ。」とだけ伝えオフィスを離れた。

  • 01

  • 02

  • 03

天王町駅でカメラマンと牛丼屋に行った。
飯が来るのを待っている間に、スーツを脱いだ。
帰りの電車で25歳の僕になった。今年の初夏はかなり飛ばそうと思っている。
過去のことは一回先延ばしにしてさ。

 


 

▽Hey!凡な日々
vol.01 | vol.02 | vol.03 | vol.04 | vol.05

vol.06 | vol.07 | vol.08 | vol.09 | vol.10

vol.11

Profile

  • 落合のダッチワイフハガキ職人

    「お笑い芸人になりたい」と思い、新卒2ヶ月で勤めていた銀行を退社。
    プールサイドというコンビ名で活動中。
    毎週日曜21時からインターネットラジオ「プールサイドの25Mラジオ」を生放送中。趣味はラジオ投稿。
    現在はコンビニでバイトをしながら。日々の生活を楽しんでいる。