結果、名古屋が好きなのかも。

日本全国で地方バブル(でなければいいんだけど)が続いている今。本当に面白いのはどこなのか、ではなく、僕が本当に心地いいところはどこなのか、を考えてみた。

4.11, 2018

IMA:ZINE 代表取締役社長:岩井 祐二
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僕は大阪を拠点に生活をしている。

 

ここで去年から店もしているし、2年間の東京生活以外はここまでの15年、この大阪をベースに編集者として生きてきた。いまも、大阪で引き続き編集者として働き、出版をしていこうと考えている。

 

なので、大阪にいることがもちろん多いのだけれど、仕事柄出張も多く、全国各地へと足を運ぶ。特に、福岡や名古屋には、現地の本を編集していることもあり、年に1度ずつ2週間程度の長期滞在が許される。もちろん本を作るにはリサーチも必要なので、それを含めると1年のうち3〜4週間ほどは、それぞれの土地にいることになる。

東京には月に数回出張があるので、これまた年間で計算すれば3週間ほどを過ごしている。要は大阪を拠点にしているだけで、それもたまたまいろいろなことが重なって、そうなっているだけだったりする。この話についても言いたいことはあるけれど、それはまた次の機会にでも置いておいて。

 

そんな僕の日々を知っている人たちは往々にして「地方ってどこがいいですか?」「それぞれどう違うのですか?」と聞いてくる。興味深い質問だと思うし、興味深い答えが返ってくるだろうという目で僕を見ているのもわかる。もちろんそれぞれの地方に思うことはあるけれど正直に話してしまえばあまりいい印象を与えられない。

そうして僕が歯切れの悪い答えを話し出すといまなら、まぁほぼ間違いなく二言目には「やっぱり福岡はいいんですか?」とくる。「まぁ、そうですね、最高です」と答えることにする。福岡はいまバブル(いろんな意見はあると思うけど)だと思うので、当然皆の期待を僕の浅はかな答えで裏切ることはできないから、そう答えることにしている。

だって、僕の答えで、もしその人が興味を失ったりすれば、もしその人がその地方へのイメージを悪くすれば、そんな責任の重い発言は、何気なく聞かれた質問に対して、僕は返すことができない。だから皆が期待している答えを予測しまるで定型文のように、答えるようにしている。「福岡が地方で最高に楽しいですよ」と。その答えに決して嘘はないのだけれど。

 

それぞれの違いはもちろん、当たり前のようにある。食、音楽、生活様式、気候、地形、すべてがその場所によって違う。ファッションにしたって、皆は口を揃えて「そんなに変わらない」というけどやっぱり細かいところを見ていけば違うし、受けている影響も、それぞれの土地では違う。

 

人も違う。温かさとか距離感とか抑揚とかまとまりとか。何が違うって初対面の感覚が全くの別物だ。乱暴に言うけども、福岡は大阪に似て距離を詰めるのが早いけど名古屋は京都に似て距離を取るのが基本。これはもうスタイルの違いだから、どちらがいいとかはない。もちろん全員でないのは当たり前だけど平均的に見て、この印象は僕の中で確定している。

 

各地で一部の人たちとしか交わってないので、大きな社会論を語ることはできないけれど、「大きな地方都市の違い」に対する見解は自分の中にも、そんな風にある。完全に自分勝手な自分目線。これはトークではなくてコラムなので、僕の見解のみでOKだと思って少々乱暴に書いているけども…。

 

関西以外では、名古屋と福岡と札幌の本を作ったけれど、名古屋が最も困難を極めた。外の人、特に東京以外の人には、もしかしたら大阪の人には特に、疑念の眼を持つのが、名古屋の人の基本姿勢だと思う。「この人が言っていることは本当なのか?」「この人は何者なのだ?」とこちらがじわりと汗をかきそうになる目線を幾度も浴びせられたことは忘れようもない。それだけに作り上げた時の喜びは、本が売れた時の喜びは名古屋の1号目がやはり最高だった。なぜ、疑いをかけられたかというと、僕が無名だから。それこそが大きな原因で、東京の編集者であれば、あんなに苦労するはずもない。「○○」の誰々というスペックが、信用を得るのに、他の地方に比べてことさら重要になるのが名古屋という土地だと思う。だから、その痛い目線を全身に受けながら、成功した時の喜びは、名古屋の人の僕に対する目線が柔らかくなり、少しでも受け入れてもらえたと思った瞬間は、本当に嬉しかった。

 

その点、福岡は話が早かった。

僕が大阪で作っていた本のことを好きでいてくれた人が多かったことも助けにはなったがそれよりも、福岡の人は、あまり人を疑わない。というか、基本的にいい人ばかりだ(名古屋の人がいい人じゃないという相対的な意味ではなく)。

福岡に他府県から遊びに来たと知ると、それはもうすごい。「ほら、ここは福岡だよ! ここもあそこも紹介するからさ! これを食べたいならあそこだよ! マニアックに楽しみたいならここだよ! 夜までじっくり、とにかく福岡を楽しんで帰ってよ!」とまぁ、すごいのだ、おもてなしが。クリステルも真っ青なレベルで。

 

一体これは、この違いすぎる違いは何なのか。

やはりそれは“自信”の違いだと思う。

 

福岡には、ジャンルもバリエーションも豊かな美味しすぎるご飯が本当にたくさんあって、街には可愛い女の子が溢れかえる。歓楽街も多いし、人のノリもいい。少し車を走らせれば、他県の温泉にだって遊びに行ける。もう、言うことがない。無双状態だ。「おすすめはありますか?」とこちらが聞いた時の返答が想定の200%ぐらいでリターンされる。それほどに福岡には自信を持ってお勧めできるものが多く、そこにいる人たちも、とても素晴らしい。

 

名古屋はどうだろう。

名古屋の人、ごめんなさい。ここからは僕みたいな小童の主観なので気になさらず。影響力もございませんので、独り言だと思ってください。美味しいご飯はもちろんある。でもバリエーションは少ない。食文化の豊かさは、明らかに、大阪、福岡の方が上だ。他には、名古屋城? 水族館? ドアラ? うーん、おすすめできるものが正直見当たらない、というのが名古屋の印象だ。なんて酷いこと! と思われるかもしれないが、名古屋の人たちも口を揃えておすすめするものがない、と話すのだからしょうがない。僕の考えは合っているはずだ。唯一、皆が口を揃えていうのは「東京にも大阪にもアクセスがいい」ということだけ。他はなにも出てこないのが名古屋という土地なのだ。

 

僕のホーム、大阪はどうだろう。

福岡と同様、自信に満ち溢れ、無形の“大阪感”が幅をきかせる。「大阪ってオモロイわぁ」と使い慣れない関西弁で喜びを伝えてもらえることが、自身のおもてなしに対する最高のご褒美。 “大阪らしい”人情味溢れる接待が大阪人の信条のように思う。おもてなし、というよりかは“自己顕示”が強いのが大阪だけど、遊びに来る他府県の人たちは、ある意味それを求めてくるのだからそれが正解になる。

 

広島もそうだったかもしれない。

広島にはリサーチで3日ほど滞在しただけだけど、それまでに何度も行ったことはあり、周りにも広島人が何人かいるので、おおよそは想像がつく。広島焼きと広島カープ、という絶対的な二本柱のエースが存在するからか、決して自らを卑下することなく、広島の良さを語ってくれる。昨年訪れた時には、街に自信が満ち溢れていた。

これはわかりやすい状態でいまの広島カープの強さに起因しているのは、ほぼ100%間違いない。誇れるものが、しかも今までにない絶対的な状況で増えたのだから、いまそうでないといけない。広島人は広島をいまこそ誇るべきなのだ。

 

このように地元に誇りを持つのはとてもいいことで世の中の“ローカルバブル”に一役買っているとも思う。そこを否定するわけではない。まったくもって賛成している。福岡も大阪も広島も本当に素晴らしい街だし、それぞれに楽しさがあって、陽の空気が漂っている。

誰かが遊びに行くなら、やっぱり福岡をおすすめするし、なんだったら、福岡旅行のアテンドをしたっていい。僕も“福岡感”を味わえる最高のコースを用意できる。

そして、大阪に遊びに来た人がいたなら、やっぱり“大阪感”を味わってもらおうと全力で努力する。きっと喜んでくれるだろう。

 

でも。でも、なのだ。

 

でも、いま僕は名古屋が好きなのだ。

自分でも不思議なのだけど、そうなのだからしょうがない。

 

僕は名古屋の人の、福岡や大阪の人とは真逆の、自らを卑下する(言い過ぎかもだけど)姿を、名古屋を現実的に捉えながらも、そこで生活し日々を生きている姿を、とても愛おしく感じてしまうのである。名古屋の人たちは自然で、日々を淡々と生きているように感じる。抑揚のない街に合わせるように、好きな時間に、好きな場所で、好きなように好きなご飯を食べ、好きなように眠る。そしてまた次の日を迎える。そのリズムが、淡々と流れる時間が、僕にはとても美しく見える。大手を振って誇るべきものはないかもしれないけど、刺激も多くないかもしれないけど、そこにあるのは“日々”で、何かに追われている様子もない。

 

名古屋の街はとてもフラットだ。少し目立てば、とてつもなく目立つ。少し美しければ、とてつもなく美しく見える。少し派手であれば、誰もが目を止める。純粋に、要領を得ない“名古屋感”に支配されることなく自由に日々を生きている。そしてそこにいる若者たちは皆、悶々としている。若者らしく若者として生きている。名古屋のことを愛しながらも名古屋のことを否定し東京や大阪に比べて飛躍するチャンスが少ない中で自らが羽ばたけるチャンスを虎視眈々と狙っている。東京にいけばいいのに、という人もいるだろうけど、これは話すと長くなるので割愛するが、そんな単純なものではない。

それに、この吹き溜まりのような環境は、とてもいい状況だ。歴史を見れば、とんでもない才能や天才の出現は、こういった一見何もない場所から生まれることが、往々にしてある。それが名古屋に当てはまるかわからないが、その環境は整っているように思う。膝を折り、かがみながら飛び出す時を見定めようしている彼らを、僕ができることで、少しでも引っ張り上げてやりたい、最近はそんなことさえも思うようになってきた(歳なのか?)。

僕は4年前から名古屋に通っているが、いま初めてこう思っている。

 

“なにもない街”から“なにもなくてよかった街”に。

 

住んでも良い、とさえ思う。ここなら自分がニュートラルになり、物事をじっくりと見つめられる。もしかしたら写真を撮ったり、アートを嗜んでみたり、山を登ってみたり、サーフィンをしてみたり。いままでそんなにしてこなかったことを始めるかもしれない。そうだ、僕の大好きな読書も、名古屋でなら没頭できる。小説さえ書けるのではないかと勘違いする。

 

“美味しいものを食べに行かなきゃならない”とか“楽しいことをしないといけない”とかそんな強迫観念に駆られることがないのも僕を救ってくれる。

福岡に行けば、大阪に行けば、“あれを食べて、あそこに行って、あれをしなければ”となるだろう。僕だって福岡に行けば“食べなければいけない”ものが何個かある。アメリカに行ってアメリカ感を、フランスに行ってフランス感を、無意識に求めるように。

 

名古屋にはそれがない。

だって、決定的に、やることが、楽しむことが少ないから。思い出もそんなにたいしたものはできないだろう。だから、いい。その方が人間が人間らしく生きられる気がする。そして、僕にはそれがあっているのだと思う。力を入れなくてもいいんだから、肩も凝らない。よく寝られる。考えをほかにめぐらすこともできる。

 

名古屋は僕にとって特別な場所になりつつある。

 

もしかしたら明日には、福岡が一番になっているかもしれないけど。

でもいまは、結果、名古屋が好きになっているのだ、と思う。

Profile

  • 岩井 祐二IMA:ZINE 代表取締役社長

    西日本の情報には精通しているつ・も・り♡の京都府出身の41歳編集者でありつつ、大阪を揺るがす話題のショップとして瞬く間に世に躍り出た【IMA:ZINE】の代表。大阪発のファッション誌カジカジの編集長を12年勤めあげた経歴をもち、あだ名は前職からの由来で局長(キョクチョー)。新撰組はもちろん関係ない。2018年11月には店舗と同名の雑誌を発行予定。