「雨が悪いって誰が決めたの?」

とある人との何気ない会話で残った一言。僕はそのアンサーを持ち合わせず、その場で答えることができなかったので、ここで潜考してみることにした。

5.1, 2018

IMA:ZINE 代表取締役社長:岩井 祐二
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「雨が“悪い”って誰が決めたの?」

 

 

「そりゃあ、やっぱりあれじゃないの? 当たり前だけどさ、雨ってさ、着ているものが濡れるし、気圧が下がるせいか、なんかしんどくならない? 早い話、落ちるんだよね。傘をさすのとかもう片方の手がふさがれてめんどうくさいし、荷物も増えるしさ、なんていうか、気分が滅入るっていうかさ。夏の日の雨の電車とか、もう最悪だよね。湿気ているしさ。空も低いし、灰色でしょ?  暗くなるよね。そりゃ突き抜けるようなさ、蒼い空の方が気分もスカッとするでしょうよ。天気予報のニュースを見てごらん? アナウンサーがすごく残念そうに伝えるじゃない? “週末は残念ながらお天気がすぐれません…”。“残念ながら”だよ? “すぐれません”だよ? ってことはさ、雨は“だめ”って言っているようなものじゃない? ほら、やっぱりみんながいやなんだからさ、それが“悪い”ってことじゃないの?」

 

 

「そっかぁ。じゃあ、雨にいいところはないのかな?」

 

 

「うーん、どうかね。雨が降って欲しいって願う時ってさ、何か雨に影響されて中止になってくれ、って時じゃない? 例えば小学生の時のマラソン大会とかさ。次の日に必死に走らなきゃならないのに、晴れてくれなんて願っているのはあれだよ、出来杉君な人たちでしょ? 行きたくもないキャンプに生返事した結果、参加しなくちゃならないって時に雨で中止になってくれとかさ。そんな時ばかりはさ、たいがいの人たちは、雨よ降ってくれって祈るだろうね。だから結局はさ、何かを無くしたいとかそういう時にしか求められない、ネガティブな存在なんだよ、雨って」

 

 

「祈る…か。じゃあ、雨の神様がいたとしたらさ、どんな人なんだろうね」

 

 

「そりゃあ君、きっとあれだな。髪の毛もジメッと濡れていてさ、癖っ毛も強くてさ。服は黒とかグレーとかじゃないのかね。シワの入ったスーツでさ。髭も伸ばしっぱなしで、痩せこけていてさ。目なんかは、もぅ虚ろの極みってな感じでさ。声も小さいよね。何言っているのかわからないよ、きっと。あ、あと確実に色白だね、蒼白って感じ」

 

 

「ずいぶんだね(でもその人、ちょっとイイな。まぁ、それはさておき)。じゃあ、君もやっぱり雨は嫌いなの?」

 

 

「そりゃあ、好きか嫌いかで言えばそうさ、嫌いだよね。できれば毎日お日様を拝みたいよ。その方が気分もよくならないかい? 雨が降れば、外に出るのも嫌になるってもんさ」

 

 

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僕は、まわりの人たちが引くほどの、いわゆる“雨男”で通っている。(雨男って何? もしそうなら、雨男ってすごくないか? だって、雨を降らせられるんですよ? 紀香嬢ですよ、それはもう)

 

 

雨に関するエピソードなら事欠かない。大事な日には、雨が降る。雨が降る日が大事な日、ということにもなる。

 

 

僕と雨、その一例はこんな感じだ。

 

 

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ストリートスナップの最中、5時間粘ってようやく最初の一人を捕まえようとした瞬間に襲われた忘れもしないゲリラ豪雨(13年ほど前なので、まだゲリラ豪雨という言葉すらなかった、と記憶)。結果、その日は坊主。

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100ショップほどが参加する大きなイベントを主催した時には、警報レベルの大雨がイベント開催中、続く。洋服のイベントだから、もう最悪。前の日は快晴。17時のイベント終了後、17時15分には見事に雨が上がる。むしろ笑えた。

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小学生の時、年に1、2回ほどしかない家族とのお出かけは常に雨。本当に雨。動物園も遊園地もすべて雨の記憶しかない。富士山の5号目で馬に乗った時も雨が降っていたなぁ。おかげで合羽と雨靴だけは着こなせる自信がある。

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昨年9月に大阪で洋服屋をオープンしたのだけれど、開店日は台風による大雨・暴風のため18時に閉店。次の日の朝、祝花の花びらが前の道路に飛び散る。少し美しかった。

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名古屋の本を4年に渡って4冊作ったけれど、長期滞在で名古屋に向かう時、4回中3回は台風が四国に上陸するタイミングに、車で移動するはめに。取材アポも入れているので避けようのないタイミング。よって、豪雨や暴風に襲われても高速道路でハイエースを自在に操る術を会得。

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北海道で1ヶ月のバイク旅をした時、およそ半分の日は雨。テントの中で寝返りした時に頰にぺちゃっと水の感触。雨によるテントへの床下浸水で目が覚めたレアな経験は忘れようもない。

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スタジオ撮影の日は晴れ。ロケの日は雨か曇り。これがデフォルト。

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ほんの一部だけれど、こんなことはチャメシゴトで、ほかにもたくさん、書ききれないほどに雨にはヤラれてきた。ゆえに、僕の人生で“雨”は憎むべき相手であり、僕の思い出たちに陰を落としてきた存在だった。

 

 

「雨が悪いって、誰が決めたの?」

 

 

とある人との何気ない会話の中で僕の耳をついたひと言。その時は心にもとめず、いままですっかり忘れていたのに、最近ふとその言葉を思い出し、潜考してみた。

 

 

僕ならどう答えるだろうか。いや、大凡の人たちの思いはどんなものだろうか。

 

 

それを揣摩臆測したのが冒頭の拙い会話劇だ。ほとんどの場合、こんな会話になって、雨というものを肯定する人は少ないだろう、と予測する。僕もその一人だったはずだ。

 

 

しかし。と、この、齢四十を超え、天邪鬼へと急速に逆戻りしている頭が考える。果たしてそうなのだろうか(あぁ、また言ってしまった)。

 

 

「雨が好き」という人たちに出会ったことは何度かあるけれど、あれは本当にそうではなく、そう言っておいた方がどこかアーティスティックでセンシティブに見せられる詭弁というか、謎めいた存在に自分を演出するにはうってつけの言葉だと思っていた。

 

 

でも、最近はその人たちの言うこともわかる気がする。

 

 

もちろん、晴れの日が嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。僕だって「気持ちええなぁ。うーーーんっ」とか言って、伸びぐらいする。実際、晴れの日に外で飲むビールは最高だ。

 

 

そして、雨が好きなわけでもない。僕だって濡れるのは嫌だし、傘なんてできればさしたくない。自転車通勤だから、雨が降れば、本当に辛い。旅に出て雨が降ればテンションはガタ落ちだ。

しかし、一度ふっと引いて、俯瞰してみたら、雨だって悪くないものだと、このめんどうくさい頭が思い始めている。

 

 

じゃあ、雨のいいところってなんだろう? 思いを巡らせてみる。

 

 

ドラマや映画でも劇的なシーンにはよく雨が使われる。ハリウッドでも、ドラマチックな演出には欠かせない手法のひとつだろう(この雨の演出は余計だ、と思う場面もたくさんあるけれど)。恋人たちが別れたり、くっついたりする時、積年のライバルがついに対峙し、最後の対決をする時などなど、印象深いシーンでは雨は効果的なツールとして用いられる。例えば、名作『ショーシャンクの空に』の脱獄したシーンなんかは、もう雨がなければ成り立たないですよね、感動的には、ならない。

 

 

なぜか? なぜそういう時に雨が必要なのか? 明確にはわからないけど、きっと、雨には物事が人に与える印象を、助長する効果があるのではないかと考える。要は画面に映っている人たちの感情の強さを引き出すために、雨が必要になる。

 

 

「雨が二人を濡らすなか、愛を確かめ合うようにきつく抱きしめあった」。

 

 

という表現があったとする。紐解くと

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二人がきつく抱きしめあっているのは、それはもう“愛しているから”に他ならない。疑う余地なし。

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雨なのに傘もささずに濡れながら、でもそれを忘れてしまうほどに抱きしめあっているのは、“ものすごく狂おしいほど愛しているから”に違いない。恋は盲目、愛はむき出し、なのだ。

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となる。

 

 

“俺たちに雨なんて関係ない”という表現なのである。思い出やシーン、印象を劇的にしてくれるのが、雨であり、それほどに心理的影響を与える効果が、雨には認められるということだ。まぁ、あくまでも僕の予想だけどね。

 

 

雨を歌った名曲も多い。「はじまりはいつも雨」(歌は素晴らしい)、「最後の雨」(懐かしすぎますね)、「ENDLESS RAIN」(高すぎて歌えない)、「雨のち晴れ」(いや、晴れてるやん)、「雨上がりの夜空に」(あかん、また晴れてるし)。どうやら歌の世界では、雨は日常ではなく、非日常な場面を表すものに置き換えられる傾向がありますね、これは。

 

 

どちらにせよ、雨は人の心理に密接に関係し、なんらかの作用をもたらすものだと思うし、主人公が傘もささずに雨に濡れながら帰路につきたくなる気持ちもわからないでも、ない(僕は濡れたくないから傘をさすけどね)。

 

 

ほかにも、例えば、悲しい時や寂しい時、辛い時。そんな気分の時に、晴れた日は、その蒼い空は、相当にきつい。無限に広がる希望的な空気が耐えられなくなる。大きな宇宙とつながってしまうような感覚に襲われる。そんな時は、雨が降っていた方が、幾ばくか心が和らぐ。低い灰色の空なら、僕に蓋をして、殻に閉じ込めてくれる。外界と自己を遮ってくれるような、密室に閉じ込めてくれるような、そんな守られている気分に。特に家にいる時は、できるだけ雨が降っていてくれた方が、気が休まる。雨が、傷ついた、思い悩んだ心に寄り添ってくれるから。そんなことを思えば、今までなんどもなんども僕は雨に助けられてきたのだと、期せずして再確認させられる。

 

 

そして、何かに考えを巡らせたい時、自分に向き合いたい時も、僕は雨を望む。

晴れの日に囀る鳥の声よりも、地面を叩く雨の音の方が、BGMとしては心地いい。僕の心と頭を落ち着かせ、神経が研ぎ澄まされていくのがよくわかる。車が水たまりを通り過ぎる時の音も、悪くない。雨の時の方が、いい原稿が書けている気がする。僕はしばしば、雨が降って欲しいと願うのだ。

ん? ずいぶんセンチメンタルな展開になりましたね。いやいや、決してメンヘラではないんですよ。センシティブに見せたいわけでもありません。歳を取って、昔嫌いだったものを受け入れているわけでもない。ただ、気づいたんでしょうね。遅いのですが、大変遅いのですが、雨の持っている美しさに。僕は常々、15年ほど遠回りした人生を送ってきたと思っているけど、こんなことに気付けるのであれば、歳をとることも悪いことばかりじゃあない、と思う。

 

 

違う世界を映しだす水たまり、電車の濡れた窓から見る街の景色、低くどんよりとした灰色の雲、水が滴り喜び勇む木々や葉々、片方の肩を濡らしながら女を守る男の傘(古いか)、単調に目の前をクリアにし続けるワイパー、雨上がりの夕焼け、夏の雨宿り。

 

 

すべては雨が降らないと訪れない瞬間で、それらが実はこの世の美しさの一つだと気づけたのだと思うのです。

 

 

皆さんにもきっとあると思います。

 

 

あの人と会う時はいつも雨。

あの日あの時あの場所で降った美しい雨。

あの本を読む時に降る心地いい雨。

あの映画は雨の日に観たくなる。

あの音楽は雨の朝にぴったりだ。

 

 

果たして、雨は“悪い”のだろうか。雨を悪いと決めつけているのは、誰なのだろうか。僕のアンサーはまだ出ていない。別に“雨よ降ってくれ!”などと思わないけれど、それでも、いまなら僕はきっとこう話すのだろう。

 

 

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「雨が“悪い”って誰が決めたの?」

 

 

「ずいぶんと乱暴な話だね。そんなこと、誰が言っていたんだい? 僕はそうは思わないけどなぁ。だってさ、雨にだっていいところはたくさんあるよ。濡れたアスファルトに照らされるオレンジの街灯なんてさ、とっても美しいよ。雨の日の森も凛としていて僕は好きだな。あんなに木や葉や花が喜んでいる姿を見ると、こっちまでいい気分になる。それに、一度でいいから、傘もささずにずぶ濡れになりながら愛する人に抱きついてみたりとか、友と友情を確かめ合ったりしてみたいよね。いつもの倍は気持ちが昂るはずだよ? まぁそんなシチュエーションになるってことは、その前フリがとても重要だけどね。誰とでもするものじゃあない。それからさ、雨の日の空の低さってさ、自分だけの世界に浸るにはぴったりだし、家にいる日は外が明るいより暗い方が僕は好きだけどね。家で本を読んだり、映画を見たりする日は、雨に限るね。温かいコーヒーかウイスキー、それに心地いい音楽があれば、もう言うことはないよ。雨の休日ほど、穏やかに過ごせる日はないはずさ」

 

 

「じゃあ雨は“悪くない”のかな?」

 

 

「悪いとされることもいろいろあるよ。楽しみにしていたバーベキューができないとか、野球観戦が中止になった、とかね。でもね、僕はそれもいいんじゃないかって思うんだ。もしかしたらバーベキューが中止になってそのあとに訪れた焼肉屋でもっと美味い肉にありつけたり、野球観戦が中止になったからバッティングセンターで気持ち良く汗を流せたりね。その帰り道で好きな人に会えたりするかもしれない。要はさ、雨って自然現象だし、神様がいるとしたらその気分で降るわけだから、それはしょうがないんだよ。というか、それでいいんだよ。あとはその時、自分がどんな状態でそれを受け入れて、頭をめぐらせて、心を落ち着かせられるか。たかが雨でそんな哲学的にはなれないや、なんて野暮なことは言わないでくれよ。これだけ僕たちが雨について語り合っている時点で、雨ってやつは十分に哲学的なんだ。だからさ、偉大な作家たちはみな作中の大切な章で雨を降らせてきたんだと思うよ。太宰 治も、高村 光太郎も、ポール・オースターやレイモンド・カーヴァーだってさ。雨は僕らを違う世界へ連れて行ってくれるのさ」

 

 

「じゃあ、雨の神様がいたとしたらさ、どんな人なんだろうね」

 

 

「それは人それぞれで思い描けばいいさ。形があるのかさえわからない。僕の雨の神様はこんな感じさ。癖っ毛の強い髪でさ、整えたりはしていないけど、清潔感は失っていない。服は漆黒のスーツでさ、美しく仕立てられている。髭は伸ばしっぱなしだけど、毛先は手入れしていてさ。痩せているけど、決して不健康な感じではない。虚ろに見える目も、奥行きのある鋭さでさ、物憂げな目をしているよ。声はかすかにしゃがれているけど、太くてしっかりと人の心に響く声で話すだろうね。色白だけど、決して悲しげではない。いつもハットをかぶっているイメージかな。渋い外套と黒いハット、革靴はいつも寸分のくすみもなく美しいものを履いている。知性の塊のような人だね」

 

 

「悪くないね。というか、いいね、その神様。じゃあ、君は雨が好きなの?」

 

 

「好きか嫌いかで分けなければいけないのなら、好きなんだろうね。でもそれは好き嫌いの対象ではないんだ。昔は嫌いだったよ。絵を黒く塗りつぶされる気分でね。憂鬱になっていたものさ。今は違う。雨が降れば、その時にしか味わえない気分を肴に、映画を見たり本を読んだり思いをめぐらせたり、大切な人のことを想ったり、することは山積みさ。雨だからできること、したくなることが、僕にはたくさんあるんだ。さすがに嵐は気分を害するから、あまり好きではない。もちろん、晴れの日も好きだけどね」

 

 

「よかった。じゃあ、雨はきっと悪くないね」

 

 

「そうさ。雨は素敵さ。優しいんだよ、雨は。それに気づけば、世界はもっと美しい場所になるよ」

 

 

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雨男。僕をそう呼んでくれた人に、心からの御礼を込めて。



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Profile

  • 岩井 祐二IMA:ZINE 代表取締役社長

    西日本の情報には精通しているつ・も・り♡の京都府出身の41歳編集者でありつつ、大阪を揺るがす話題のショップとして瞬く間に世に躍り出た【IMA:ZINE】の代表。大阪発のファッション誌カジカジの編集長を12年勤めあげた経歴をもち、あだ名は前職からの由来で局長(キョクチョー)。新撰組はもちろん関係ない。2018年11月には店舗と同名の雑誌を発行予定。