
折り紙で作った小さな箱らしきもの。
ダンボールで作ったメダル風のもの。
画用紙に頑張って描いた似顔絵。
シワシワになった押し花。
これは私が小さい頃「母の日」のたびにお母さんにプレゼントしていたものだ。
この前、久しぶりに実家に帰って戸棚の掃除を手伝った時、小さな箱の中にそれは全部取ってあった。
折り紙の箱なんて、上手に箱にならなくてセロハンテープで無理やり箱っぽくしてあるし、似顔絵は途中で気が変わって半分以上うさぎの顔で埋め尽くされている。押し花も無事な花弁は1枚だけ。毎年「母の日」がくるたびにお母さんに何かあげたくて、頑張るんだけど途中で力尽きた子供時代が蘇る。
今日は我が家でお茶でも、と母を招いたのだが、話題はいつしかその「ぶきっちょなプレゼント」の話に。
「不器用なのは誰に似たのかしらねえ」
そう笑いながら母が言う。
「絶対お母さんだよ。だって今でもよく料理焦がしているじゃない」
「あら、ちょっとくらいの焦げは美味しさのうちよ」
似た者母娘だ、とお互い苦笑い。

母が母になって35年経った。
そして私が母になって3年経った。
「今日は“お母さん”にありがとうをいう日なんだよ」と教えると、半分にちぎっただけの折り紙を「はい、おリボンどーじょ」と私と母にプレゼントしてくれた我が娘は、きっとこれから小さな箱らしきものや、ダンボールのメダルなんかを毎年くれるんだろううなぁ。そんな想像をすると自分のあの時の気持ちと、出来上がったもののクオリティを思い出して甘酸っぱいやらほろ苦いやら。
そして娘が日々大きく成長するのと反対に、母は少しずつ小さくなってきた気がする。
白髪もちょっと増えたみたいだ。あと何十年こうやってお互いの不器用を笑いあえるのかなとふと思う。
いつまでも健康でいて欲しいのはもちろんだし、
いつまでも可愛いお母さんでいて欲しいとも願う。
だから今年の母の日は、奮発してシルクのインナーをあげることにした。
「ふふふ、シルクの肌着なんて、なんだかお母さん女優さんにでもなった気分よ」
シルクの着心地の良さに、上機嫌でちょっと音程のずれた鼻歌を歌い出す母を見て、
これまたちょっぴり音程のずれた鼻歌を、私も歌った。
今日は、そんなすてきなMother’s Day。