角打ち ON THE CORNER

第0回 2017年の角打ちパラドックス(回想)

ほら、街の角で、毎日何かが産まれているよ

4.15, 2018

ミュージシャン:mantaschool (a.k.a MC.sirafu)
  • essay
  • food&liquor
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それは、見返りがなくとも、愛する人のもとへどんなに無理しても向かう気持ちのような

2016年の年末くらいのお話。

京都でのライブをもって、長らくお世話になった例のバンドを脱退(?)した。

おセンチなその夜は無論打ち上げにも参加せず、一人で京都の居酒屋で呑み歩いた。店のテレビでは探偵ナイトスクープがやっていて、リアルタイムで初めて観れたことにテンションはダダ上がりした。

そしたら西田局長が「本当のさみしさはそんなもんじゃないぜ」と僕に言う。だったらとことんさみしくなってやろうじゃあないかー。切り捨てる悪癖が発動。その瞬間から大好きな酒を断とうと思い立つ。

 

でもね、角打ちのことを忘れてた。

僕は角打ちを愛していたんだった。

酒はやめれるけど、角打ちはやめれない。。(これは矛盾ではない)あの文化遺産とも言える空間に酒をもって臨まぬなぞ、少なくとも僕には許されない。ダメ!ソフトドリンク!あくまで「体感」するの。銭湯もクラブも「体感」なんだ。

 

と言うわけで、この後一年続く、あらゆる人に突っ込まれまくった謎の角打ち縛り(角打ちでしか呑まない)が始まった。

で、2017年、当初の酒を断つ、と言うコンセプトは何処へ。結局僕は角打ちに行きまくった。わざわざ「酒を呑む」という行為のために、電車に乗り、知らない土地へ行く。生きている間に絶対に降りることはなかったろうな駅にだって行く。一時間以上かけて向かった先はただの酒屋でしかない。呑めるのはどこのコンビニでも買えるたかだか100円そこらの、缶ビールやチューハイの場合もある。僕はなにをやっているんだろう?と自問自答すること多々。

 

だけどね、見返りがなくとも、愛する人のもとへどんなに無理しても向かう気持ちのような。

例えば見えないなにかを手にするために、どんな苦労をも厭わない気持ちのような。

僕の消えかけていた人間としての初期衝動が、消えかけて行く文化によって、再び目覚めさせられてしまったのだ。意図せずに。角打ちのパラドックスが僕を翻弄する。

 

 

角打ちのやり方にルールはないから
だったらそろそろ、この時代の角打ちを考えてみようじゃないか

 

で、2017年。大きな問題が。僕にとっても、社会にとっても。

東京周辺の歴史的角打ち名店が次々と閉店してしまったのです。角打ちと、あと銭湯にも言えるんだけど。これらって市井の交差する場所(文化を生み出す装置)だと僕は思っていて。だからこの時代にこそ本当に必要な空間だと思っている。触れ合う場所としてね。ただ、銭湯再生とか、角打ちも当代が継いでこの時代の角打ちが増えてきているのは事実。だったら心配ないじゃん、と思うかもだけど、なにか大切なものが損なわれていってしまってないかい?と思う時も。

 

で、そんな「古き良き」がいいと思ってしまうウザい玄人目線でさえ、パラドックスということにやっと気づく。新旧角打ち行きまくっただけあって、現在の多様化は面白い。なぜなら角打ちのやり方にルールはないから。然らばこの時代の角打ちとは?を考えよう。

2018年現在、お酒バランスを崩した僕は軽い躁鬱状態になってしまいましたが、新たな目線で、お酒と自分と角打ちに向き合おうと思っています。

 

人生のコーナーで何かを引っ掛けるには、きっと今の時代のやり方があるのです。必要とされてる場所は変わっていくから。あなたの街にあるコンビニ、魚屋、肉屋、銭湯、どこだって角打ちになりうる。そこが必要なら、立ち寄りましょうよ。バッタリ君とそこで会いたいよ。

 

この連載を契機に、多様な目線で角打ちを紹介していきたいと思っています。もしかしたらお店は紹介しない時もあるかもしれないよ。

今新たな文化が街のそこらで産まれ始めてるから。

 

ほら、そこの角でも。

Profile

  • mantaschool (a.k.a MC.sirafu)ミュージシャン

    片想い、ザ・なつやすみバンド、うつくしきひかり。
    『in da house』「角打ち ON THE CORNER」主催。
    犬と角打ち愛好家。