Look Book Cook Record No.012

「形のない骨」小島淳二 監督 インタビュー

日々のインプレッションを画像と文で紹介するノンスタイルの連載です。

7.29, 2018

桑原 茂一
  • art&culture
  • essay
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世界が注目するCM界の“女性美の魔術師”
満を持して映画監督デビュー!

 

TSUBAKIやマキアージュなど、資生堂のCMを長年にわたって手がけ、〈女性美の魔術師〉と呼ばれる小島淳二。2007年には、第57回ベルリン国際映画祭短編コンペティション短編コンペティション部門に、日本作品として31年ぶりに出品され話題を呼んだ注目のクリエイターだ。『形のない骨』は、彼が企画から立ち上げ、5年の歳月をかけて挑んだ映画監督デビュー作。これまで切り取ってきた女性の華やかな瞬間とは真逆となる〈人間の内面〉がじっくりとあぶり出されていく。

 

九州開催のオーディションで200人の中から選ばれた役者たちが、3ヶ月に及ぶワークショップと1ヶ月の稽古を経てクランクイン。福岡県糸島市の一軒家を中心に撮影され、自宅、火葬場、病院、そこで働く人々もできうる限り“本物”を使うことで、見る人誰もが自分の人生に置き換えられるようなリアルな世界観を作り上げた。

 

格差社会から生まれる一般家庭の貧困や希薄な人間関係、女性蔑視の問題…。次第に追い詰められていくひとりの女性の壮絶な人生を通して、家族とは、人間の優しさとは何かを問いかける『形のない骨』。理性的であることを求められる現代に生きるすべての人たちに贈りたい人生賛歌だ。

 

 

監督:小島淳二

 

1966年生まれ。佐賀県出身。1989年よりデジタル編集のエディターとして活躍後、ディレクターに転向する。資生堂、Honda、uniqlo、全日空などのTVCM、ミュージックビデオ、ブロードキャストデザインなどジャンルを越えて多くの印象的な映像作品を輩出している。海外のクライントからのオファーも多い。また、映像作家としてオリジナルショートフィルムの制作にも積極的に取り組み、その作品はRESFEST(USA)やonedotzero(UK)など海外の映画祭でも注目を集めている。Jam Films 2の1本として劇場公開された “机上の空論”では、RESFEST2003にて”AUDIENCE CHOICE AWARD”を受賞。第57回ベルリン国際映画祭の短編コンペティション部門に「THE JAPANESE TRADITION ~謝罪~」が出品された。 部門への日本作品の出品は31年ぶりとなる。

 

小島淳二 監督 インタビュー

 

— 映画を撮ろうと思った動機はなんですか?

 

小島:40歳になった時、広告の仕事は面白いんですけど、本当にこのままやり続けていいんだろうか、という疑問が自分にあって。競争の激しい東京の世界から一度離れたいということで福岡に移ったんですね。あとは親の介護とか、実務的なものもあったんですけど。

 

 

— ご実家はどちらで?

 

小島:もともとは佐賀なんです。ただ佐賀だと、東京に来るのが不便で。福岡だと空港も近かったし、土地柄がすごく佐賀にも似ているので福岡がいいなと思って、10年前に引っ越しました。そこで「さて、何をしよう?」と考えた時に、もともと映画が好きだったので、もう一度自分なりに映画を掘り下げようと思って、自分の好きな監督…ウディ・アレンから始まり、スウェーデンのイングマール・ベルイマンの作品を観たりしました。ベルギーのダルデンヌ兄弟というおじいちゃん2人でやっている監督の作品はすごく性に合いましたね。その辺から、映画のロジックというか、組み立て方のルールみたいなものを、自分なりに研究しました。例えば、全カットを書き出してみたり、構成の組み立て方を学びました。

 

 

— ダルデンヌ兄弟監督というと?

小島:『少年と自転車』や『ある子供』など。カンヌでグランプリを2度も取っている監督です。実際綿密にリハーサルをしているようなんですけど、あたかもその場で起きているかのようなドキュメンタリータッチで撮られていて。それには感化されましたね。そして、アメリカの映画みたいに、会話を肩越しでカットを割って繋ぐとかではなく、あえて片方からのカメラだけで撮っていくような手法にもすごく影響を受けました。昔はフランス映画だとゴダールとか、アメリカだとデヴィッド・リンチとか、音も映像もスタイリッシュな作品を好んで観ていたんです。でも映画って、2時間という尺の中で、どう話を盛り付けていくかということの技術の方にも興味がわいてきて。(映画って実は)もっと深いものなんじゃないかと思ったんです。

 

 

— 資生堂、Honda、uniqlo、全日空などのTVCM監督では、有名人を起用してのメジャー世界から一転、劇場映画の初監督作品では、なぜ無名の俳優さんたちを起用されたのですが?多分に興行的な問題も出て来ると思うんですが。

 

小島:それもあったんですけど、初めての監督作なので、試行錯誤したいというか、メジャーな女優さんだと時間的な拘束があって、自分のイメージするものにたどり着かないまま終わるんじゃないかという不安があって。どっぷり付き合ってもらえる人でやりたいと思いました。興行的にはだめかもしれないけども、そっち(試行錯誤すること)を優先した方がいいかなと思ってそういう方法を選びました。

— 制作費は自前で?

 

小島:自前というとあれですけど、かき集めたということになっています、一応(笑)。

 

 

— FBで拝見したのですが、小島さんの書庫には膨大な量の映画のDVDがコレクションされていて驚きました。私もかなり観ている方ですが、本当に好きな人は DVDを所有するんだなって(笑)で、ヌーヴェルヴァーグの時代のコレクションも多かったですね。私は専門家でないのでイメージの話で恐縮ですが、あの時代は映画批評誌「カイエ・デュ。シネマ」の編集長が映画を撮ることでも分かるように、作品への批評性が映画製作のバックボーンにはあったように思います。つまり、有名な俳優さんを使うことで興行収益を左右するという話ではなく、脚本のリアリティーを失うからプロの俳優を避け素人だけで映画を撮るとか、批評性があった時代に作られた映画は、未だに映画の教科書的役割をしているように思います。また、ヌーヴェルヴァーグの時代のフランスでは5月革命があったのと、ちょうどベトナム戦争の時代と重なります。あの時代、ゴダールはこんな宣言をしていますね。

 

“ ハリウッドやチネチッタのような巨大な組織が映画を独占する時代に、「俺たちは第2、第3のベトナムになる!」 ” と、マオイズムや左翼的ムードが映画に流れ込み、反体制や自由を希求する主張がストレートに表現された時代でしたよね。

 

初めて映画を撮る環境に身を置かれて、日本映画の今をどう感じていますか?

 

注:カイエ・デュ・シネマ

(Les Cahiers du cinéma)は、フランスの映画批評誌である。初代編集長アンドレ・バザン提唱の「作家主義」、および同誌の執筆者からヌーヴェルヴァーグの映画作家たちを生んだことで知られる)

 

小島:僕らよりも若い世代の人たちは、やっぱり「商業映画がつまらない」という動きがあって。もっと映画の本質が他にあるんじゃないかということで、自主制作みたいなところから始めて、割とだんだん状況はよくなってきてると思うんですよ。中には興行的にうまくいっていないのもあるんですけど、一方で深田晃司監督の『淵に立つ』は浅野忠信さんが出ていて、カンヌである視点部門で賞を取ったりして興行的にも成功してますし、ああいうジャンルの映画を少しずつ作りやすくはなっているのかなと思います。ラブコメ的なものの反動もあるかと思うんですけど。(深田監督作品のような映画の)数は以前より増えているのかなと。

 

 

— 若人たちの意識が少し健全(笑)になってきている?

 

小島:僕が今思うのは、いいものを持ってとか、いいところに住んでとか、いい服を着てとか。それってそんなにカッコよくないんじゃない?とか。もっとその人独特の生き方や価値観がブレずに——例えば絵だけ描き続けているとか、そういう人の方が魅力的に見える時代なのかなというふうに僕は見てます。周りもなんとなく、頑張って働いてポルシェ買っても意味ないよ、とかいう感じはある気がしますけどね。

 

ただ、大きなカルチャーが生まれにくくなっている気はしますね。僕ら世代に欠けているのは、さっきおっしゃった批判性とか、もっと声をあげようぜという姿勢が弱いというか(笑)。茂一さんの時代にやられていた活動とか、スネークマンショーとか。社会に対してアンチテーゼを言う!みたいな流れがあった。僕らはそれに対して憧れはあったものの、なんとなく過ごしちゃった。ファッションや音楽だけを真似て、批判性みたいなものはないという感じで育ってるかもしれないですね。

 

 

— 今回、映画の公開と並行して、映画のタイトル「形のない骨」と同じタイトルの展覧会をやられるのは本当に素晴らしいことだなと思います。つまりそこにクリティックの場が一つ生まれているわけで。映画とアート展が同時にあることが「今」という時代を感じますね。で、この脚本を書こうと思ったきっかけはなんですか?

 

小島:大きなくくりでいうと、女の人は偉大だなという。浅はかなところももちろんあると思うんですけど、母性というか、最後に小さい子供が飢えて泣いていたら守れる強さがある。世の中が結局そういうところに救われているんじゃないかと思うんです。主人公の良子は不遇な状態にある。自分が言い出したことがきっかけではあるんですけど、それでトラブルに巻き込まれていく中でも、義理のお母さんや子どもを守ろうとしていくところを描きたいと思って、作った映画です。

 

 

— あの映画のような環境は、小島さんの周りにリアルにあったんでしょうか。

 

小島:いや、全くのフィクションですね。最初の主人公たちがシルクスクリーンで偽物の絵を作っているとか、ああいうのはまぁイメージというか、最初からあったものです。具体的には偽物を作っている人はいなくてみんな本物を作っているんですが、今の世の中、アートの価値が上がっている一方で、結局考えてみたら刷り物じゃんっていうか。ウォーホルとかもそうですけど、ポップカルチャーに影響を受けた人たちがその後どう生きていくの?という疑問もスタート地点にはあったような気がします。全然違うところに話は流れていくんですけどね。自分はそのあたりのことはなんとなく体感しているんですが、その辺のを知っている人には共感してもらえるんじゃないかなと思います。

 

 

— 映画の導入部分でアート作品の偽物を売買するブラックマーケットの存在が意味深に描かれています。その謎が解けないまま映画は終わってしまったのですが、あの謎がストリーの基軸になっているはずなのに、どういうことなのかなぁと。

 

小島:よく鋭く批判されるところはそこなんですよね。最初の物語のきっかけですよね。極端にいうと2部構成のようになっていて、正が殺されるまでのお話と、殺された後の良子と義理のお母さんのお話。そこが多分力不足というか、最初に起きたことを最後まで物語として引っ張っていかないと、最初のあの辺はなんだったの?となるとよくないっていう。

 

 

— アート作品のブラックマーケットの世界は、小島さんのようにアートの世界に身を置く方が描くと、観客はかなりリアルに興味を引かれますよね。で、その主人公の旦那さんの正は早いうちに天に召されてしまうのですが、その正が妻に何度も暴力を振るいますよね。普通のメジャー映画なら分かりやすく顔を殴るところを、陰湿に脇腹を殴ってる感じがとても怖かったんですね。

 

小島:DVをしているということを世間に知られたくないという夫の狡さです。自分の同居している母親にも見せたくないというので、衣服に隠れるところだけを殴るという……。

— あの衝撃なシーンが描かれたのは、、もしかして小島さんの周りにあった事実からですか?

 

小島:いや、想像です(笑)。ただでも、新聞とかで読んだかもしれないですね。ずるい旦那は気づかれないように会えて顔は殴らないという。表に見えないところだけを。

 

 

— というのは、福岡はある意味男尊女卑が今も激しくある街ですよね。

だから飲み屋とかで耳にしたリアルな話なのかなと。

 

小島:父親が威張っていて、台所にも立たない。帰ってきて着替えてビールを飲む。家事は、すべて母親がするという。共働きでもそんな状態でした。自分の親がそうではなかったんですけど、男の人がちょっとしたことで怒ったりとか、そういう場面は周りでもよく見ていましたね、佐賀時代に。今はもう、男の人も女の人も平等な時代。ああいう夫に対して反発するというのは、当然の世の中になっているのかなって。

 

 

— 自分の最愛の方を亡くすとかが脚本の動機ではない?

 

小島:そうですね。祖母の時が一番悲しかったですけど。そうやって骨を拾うのは、母親が喉仏を見つけたときに「見つけて欲しかったんじゃないの?」ってみんなで話すような感じで。20年前なんですがその日の記憶は、鮮明に覚えていて、深いところでは、動機になっているのは確かです。

 

 

— 焼いた後の骨を丁寧に扱うシーンに何か特別な意図があるのだろうな〜と。

小島:映画を観ただけではなかなか伝わらないと思うんですが、義理の母親が孫を風呂で手にかけるんですけど、頭をすごく触るんですね。頭蓋骨というか。その骨格が自分の息子(正)とすごく似ていると(母親は気づくんです)。家族ってそういうことなのかなと思うんですね。繋がっていくということっていうのはそういうことなのかなと。形のない骨というタイトルは、形の見えない骨という意味での「ない」でもあったんです。絆や気持ちだけで繋がっていく家族もあるでしょうけど、やっぱり亡き自分の息子の幻影が骨に残っているところで、余計愛おしく見えたりするんではないかと。よく「歯の生え方がお母さんに似てるね」とか、骨格的なことって家族の話になったりするんで。

 

 

— 後ろ姿が似てるね、とかね。

 

小島:そうです。歩き方が似てるねとか(笑)。そういうので新しい共同体を最後に作ろうとする話を描きたかったんです。

 

 

— で、映画と同じタイトルで展覧会をやられるわけですが、皆さんにはどのように伝えたんでしょうか?

 

小島:それがとても乱暴でして(笑)。映画本編素材をお送りしましたし、「観なくてもいいです」とオーダーしました。タイトルからイメージするものを作ってもらってもいいです、と。ちょうど先ほど展示をしてきたところなんですが、映画の1シーンを描いてくれている人もいれば、映画を自分なりに解釈する人もいて。白根(ゆたんぽ)さんは、寝転がる良子が手に骨を持つイラストや、鈴木さんなんかは、イタリアでこの映画が公開された時の架空のポスターだったり。完全にイタリアのフォーマットになっていて、すごくかっこいい感じでした。それぞれに作家性があります。

 

 

— 同じくCM界でも活躍される谷田一郎さんの作品ですが、あれは骨盤じゃないですか?

 

小島:そうですね。

 

 

— 女性の本質とも言える、私たち誕生の里、強烈ですよね(笑)。

 

小島:途中で動画になっていたんですよね。動画で一回上げてきたんです。笑っちゃいました。

 

 

— 小島さんの周りにいるアーティストの方たちとの作品の共有化を促すような展覧会のあり方にとても興味を持っています。確か、世代の近い方が多いですよね。一つの作品から批評性を必要とする新たなクリエイティブなシーンが生まれたらいいな、と希望を持ちました。

 

小島:リーダーというとあれですけど、ヒロ杉山さんがスタイルをずっと模索しながらも、確実に作品がパワーアップしていると思うんです。描いたら描いた分だけ、線も綺麗だし、色もいいですし。やり続けられているところは感銘します。夜中にじっと描かれてると思うんですよね。そういう背中に僕は影響を受けていますし、自分は映像を使って何ができるのか?というところは結構あったかもしれないですね。

 

 

—ところで、主演の女優さんは、ヌーヴェルヴァーグの代表的な監督、ジャン=リュック・ゴダールでいうところのアンナ・カリーナではないんですか?

 

小島:自分にとってはアイドル的な感じではなくて、やっぱりこの役をやり切れるのはこの人かなと。オーディションでは3ヶ月ぐらい15回、3人の主演候補を入れながらワークショップをやっていました。

 

 

— ワークショップってどんなことをやられるんですか?

 

小島:僕は鴻上尚史さんが書かれている「演技と演出のレッスン 魅力的な俳優になるために」という本があるんですが、その本に則ってやっていきました。最初はこの方法でうまくいくかという不安もあったんですけど、意外とうまくいって。最初緊張でカチカチの人が3、4回目から自分を表現することに慣れていって。この本はすごくいいなと思いました。

 

 

— フランス映画の「汚れた血」が好きなんですが、その、レオ・カラックス監督が、free paper dictionaryで茂木健一郎さんと対談した時に、自分は、主演の女優さんに惚れ込まないと映画は撮れない。と言ってたのが印象的で、ヌーヴェルヴァーグ好きの小島監督にもそういうところあるのかなぁって思って(笑)。それはないんですね。

 

The Interview Kenichiro Mogi &「茂木健一郎  レオス・カラックス」

小島:でも安東さんは絶対綺麗に見える角度や光があって、そこに持っていくためにすごく粘って撮っていきましたね。すごく綺麗な方なんですが、角度によってバランスがよく見えないところがあったりもしたので、シュッとしたアングルにするのに試行錯誤はしました。

 

 

— ウディ・アレンも、ヒッチコックも、みんな自分の好みの女優さんと映画を撮りますよね。

 

小島:そこまで自分が素になるのは恥ずかしいですね。

— さて、この映画のたどり着く先ってどんな風に考えていらっしゃいますか。どういう風に発展していけば良いと?

 

小島:今回初めてお披露目するので、まぁなんか、自分の全部をさらけ出してしまっているので、動揺しています。試写の後とか、みなさんどう思ったかなとか。すごくデリケートになっていますね。

 

 

— 今までの、アートディレクターとしてのものづくりとは全く違うんですか?

 

小島:そうですね。誰のせいにもできないというか。広告の場合はクライアントの意見を聞きながら作っていて、条件なども考慮しながら「わかりました、これはのみましょう」とか言いながら作っている。だから初めてですね、自分一人で表現に向かったというのは。月並みですが、できるだけたくさんの人に見てもらって、何かを考えるきっかけになったら良いかなと思います。

 

 

— 海外に持っていく可能性はあるんでしょうか?

 

小島:一応、今、香港の配給会社と契約していて、ワールドマーケットに持っていくのを試行錯誤しているんですが、まだ実を結んでいませんね。

(インタビューの後、ワルシャワ国際映画祭コンペティション部門が決まった)

 

 

— 楽しくて仕方ないとおっしゃっていたから、次の企画もあるんですよね?

 

小島:そうですね、今、着々と進めていますけど。公開終わったらどっぷりいけると思うんですけど、途切れ途切れに作業してるので。

 

 

— 小島さんは音楽がめちゃくちゃお好きだと思うんですが、今回映画の中で音楽をどう使うかは悩まれましたか?

 

小島:いや、もう、音楽は好きなので、引っ張られるのがわかっていて……。そっちに引っ張られないで、音楽の力を借りずに、映画を作りたいと思ってました。

 

 

— 音楽はなくても良いぐらいに?

 

小島:そうですね、1箇所だけシンボリックにあてようというつもりでやりました。

 

 

— すごいですね。色々な映画を観て、そのスタイルにたどり着いたんでしょうね。

 

小島:そうですね。いろんな監督の影響もあって。

 

 

— 小島さんの好きな監督はめちゃくちゃ音楽を使ってますよね。

 

小島:そうですね。でもダルデンヌ兄弟とかはほとんど音楽はないですね。

エンディングも、虫の声だけだったり。そういうスタイルの人も好きです。

 

 

— 映画を作るということで改めて自分を知るということにもなったのでしょうか?

 

小島:そうですね。自分の足りないところが明確にわかりました。でもわかってもどう補うのかが見つからない感じですね。シーンとシーンが飛んでしまっていて、もう少し会話でうまく繋げば観やすくなるかなとか、今になって思えば色々あるんですが、会話でどう持っていくかという技術や脚本力が足りていないというのを痛感しています。

 

 

— 今後もご自身で脚本は書かれる?

 

小島:そうですね。共同で誰かと一緒に書くというようなのが良いかなと思いますね。

 

 

— 今後は外の意見も取り入れながら?

 

小島:外の意見も聞きながらですね。

 

 

— 楽しみにしております。

 

小島:ありがとうございます。

インタビューを終えて、二度、「形のない骨」展覧会に出向いた。2回目は、小島淳二、ヒロ杉山、谷田一郎 鼎談にお邪魔した。

 

で、分かったことがある。この映画にはちゃんと希望が込められていたこと。しかし私はその事に気がつかなかった。経験から人は知恵を授かるものだと思うのですが、そこにはどうしても自分勝手な思い込みで理解しようとしてしまう。映画にしろ、音楽にしろ、アートにしろ、うまいにしろ、あれにしろ、これにしろ、自分勝手に感じてしまうのが人間という傲慢な生命体なのかもしれない。だからこそ文化が生まれる背景には批評性という審判と客観性が必要なのだと思う。ありていにいえば、作品に関して議論することだ。思うに、ヌーヴェルヴァーグの時代には、それこそパリの街角に点在するカフェのそこかしこで熱い議論が交わされたのではないかと推測する。熱い議論の末にヌーヴェルヴァーグと称される後世に残る運動が生まれ、それまでとは違う映画作品が数多く誕生したのだと思う。

 

で、昨今、私たちは人との軋轢を恐れるあまり本質を浮かび上がらせる議論を迂回する術を身につけ過ぎているように感じていたが、この座談会に参加して私は可能性を感じた。実は作家たちも自らの作品を友人たちの前に晒し議論し情報交換をする場を欲しているのではないかということだ。もし動き始めたら、ぜひ、この連載でお伝えするつもりだ。さて、最後に、私の敬愛するアーティスト・ヒロ杉山さんのこの座談会での発言をお伝えしておきます。

 

ヒロさんはこう言います。

 

私は広告の仕事と自分の作品作りを明快に分けています。

 

広告の仕事はクライアントの商品をより売るための作品作りです。その資金は全てクライアントのリスクです。ですから、どのような注文にも異を唱えることはありません。その作品作りの為に作家としての能力をフル活用します。そして、クライアントの要望には120% 答えるようにしています。

 

しかし、自分の作品作りには、誰からも1ミリも注文を受けることはしません。

 

また、私はほぼ毎日作品を創作していますが、気の悪い時は作品を描きません。何故なら、作品にはどうしても作家のオーラは纏わり付いてしまうからです。私は自分の作品を見てくれる人を幸せにしたい。もし仮に私の作品が誰かの家に飾られたとき、その作品からネガティブなオーラが出ては困るのです。だから、作品を描き始めるときは心を平静にしてのち描く事にしています。

 

ヒロさんの作品に何故引かれるのか?その答えをこの座談会で知ることができました。近い将来、作家の作家による作家のためのサロンを開催できることを心より望んでいます。

 

このインタビューで使用した画像は全て映画の宣伝からお借りしました。

 

 

インタビュー文構成 初代選曲家 桑原茂→

 


情報

 

▼タイトル
形のない骨

 

▼公開表記
2018年7月28日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開

コピーライト
©teevee graphics,inc

 

▼クレジット
安東清子
高田紀子
田中準也
熊谷太志
杉尾 夢
ジョーイシカワ
渡邊ちえ

 

監督・脚本・編集:小島淳二
撮影:安岡洋史 照明:根岸謙 録音:阿尾茂毅 音楽:徳澤青弦 美術:松本慎太郎
ヘアメイク:木戸友子 演出助手:泉優次郎 制作:長門麟太朗 制作助手:竹之下愛莉制作会社:teevee graphics ポスター:今永政雄

配給:エレファントハウス

 

▼公式HP
http://katachi-nai-movie.com

形のない骨

FREE PAPER DICTIONARY

ヒロ杉山 / Hiro Sugiyama archive 2018-1996

■ヒロ杉山

1962年、東京生まれ。東洋美術学校卒業後、湯村輝彦氏に師事。その後フリーとなり、1997年アーティストユニット、エンライトメントを結成。

 

ファインアートの世界で国内外の展覧会で作品を発表する一方、グラフィックデザイン、広告など幅広いジャンルで独創的な作品を発表しつづけている。
さらにPV制作やVJなどの映像分野での評価も非常に高く、三代目j soul brothers,EXILE,m-flo,安室奈美恵、BOA、少女時代などへライブ映像を提供している。

 


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Profile

  • 桑原 茂一

    初代選曲家、毎週金曜日夜11時Mixcloud PirateRadio(海賊船)、 創刊1988年 free paper dictionary編集長