Look Book Cook Records No.015

第15回 「 R E S P E C T 」

日々のインプレッションを画像と文で紹介するノンスタイルの連載です。

8.29, 2018

桑原 茂一
  • art&culture
  • essay
  • music
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アレサ・フランクリンが亡くなった。

私の追悼曲は、I Say A Little Prayer・Aretha Franklin

https://www.youtube.com/watch?v=7Ifw8JhDBvs(LIVE)

https://www.youtube.com/watch?v=KtBbyglq37E (本命)

 

この曲は、バート・バカラックとハル・デヴィッドによる著名なポピュラーソング。 1967年にディオンヌ・ワーウィックが初めて歌い、多くの歌手がカバーしたが、ディオンヌ・ワーウィックと双璧を成すのはアレサ・フランクリンただ一人だと思っている。折角だからオリジナルも聞いて欲しい。

Dionne Warwick I Say A Little Prayer 1967 Original Million Seller

 

ディオンヌの甘くくすぐるシルキーボイスは、ある意味、母胎の楽園(多分)のように保護された世界で、それと対極をなす、“生まれたからには一人でしっかり生きろ“ 的な自立を促す野生のボーカルは、迫害を跳ね返すソウル・ミュージックの歴史を担うThe Queen of Soul、アレサ・フランクリンの真髄である。

 

ロマンチックメロディーに酔いしれる思春期に遭遇したビートルズの鳥肌立つ鮮烈さとはまた別で、アレサを初めとするソウル・ミュージックとの遭遇は、その一曲、一曲、鳥肌する度に、ひと針、ひと針、Soul命と、刺青するかのごとく、あらゆる音楽を受け止める良し悪しの根底には必ずsoulが潜んでいるのだ。

 

例えばこの曲、

Aretha Franklin – Respect [1967] (Original Version)

 

そして彼女自身へのリスペクトへ。

[ The Queen of Soul is getting a proper tribute in the city’s subway system ]

 

この、R-E-S-P-E-C-T は、亡くなったソウルの女王、アレサ・フランクリンへのリスペクトでもあり、彼女の代表曲でもあるRespectへのリスペクトでもあるという、ダブルミーニングで地下鉄の駅の名前「 FRANKLIN 」になぞらえ、落書き?したのがこの画像である。こんな粋なことができるアメリカ人には、まさにリスペクトしかない。(アメリカ人全般に関してのことではない)

 

前置きが長くなったが、今回の連載テーマはRespect 。

 

” デジタル写真は写真ではない “

 

そう言い切る写真家たちの展覧会が、原宿アート界の聖地「VACANT」で開催された。その開催中の某夜、アナログ写真愛好家必見のバトル・トークショーが行われた。一戦を交えたのは、自らデジタルからの刺客と名乗る、『藤原ヒロシというカルチャー』はたまた、『KING OF STREET』の愛称,異名で多くの若者から慕われる、原宿のレジェンド、あの藤原ヒロシ、対するは、拙者19歳からのちょっと先輩で盟友、写真文化を後世に伝える正義の使者、写真家、三好耕三。

 

この大変貴重なバトル目撃談を報告する。

まず、開催場所のVACANTだが、私と旧知の仲でもある初代オーナー由来のアメリカ・カウンター・カルチャーにそのルーツを持ち、多くのクリエーターたちからリスペクトされるギャラリーで、お盆休み中にも関わらずクリエイティブ・マインドを有する老若男女で賑わっていた。

では、この対談の非常に聞き取りにくい録音データーをcut up しながら対談の骨子を探ってみましょう。

藤原ヒロシ:(H)

三好耕三:(K)

 

(H) デジタルからの刺客として参加しました。藤原ヒロシです。(笑)

写真の魅力には多くの要素があると思いますが、今回のタイトルである。

“デジタル写真は写真ではない”にはちょっと納得できないところがあります。というのも、自分には、まず、デジタルとアナログの違いがわからない。

 

(K) それは、ちょっとしたトレーニングで、必ず違いがわかります。まず写真をたくさん見ることですよね。写真というのは photography 日本語で写真術のことで、フィルムを使って、溶剤を使って現像することを写真と呼ぶのですね。

だから、デジタルは、それをやらないので、「画像」と呼ぶのが私の見解としては適切だと思うので、このことを写真が無くならない前にはっきりさせておかないと、デジタルしか知らない人たちが、写真を見ても認識できなくなると思うのです。だからきちんと写真とデジタルを区別することで、大切な文化を未来へ残したいというのが私の願いです。

 

(H) デジタル写真を認めないということではない。

 

(K) だから、デジタル画像はよくできたスキャナーだと思ってる。すぐ撮って見れるから、本来の写真は、そう簡単には写らないということを知ることからが始まりで、思った通りに写すことの難しさ、写真作品を作るというクリエーションを写真を通して学ぶことだと思う。そのことの大切さを認識してもらいたい。

 

(H) 写真の世界もポライドの誕生なども含めどんどん進化してると思います。音楽に例えれば、自分はソウルに始まりパンクにハマりましたが、そのままパンクで終わる人もいます、下北沢とかで。

 

–(観客笑う)

 

で、パンクもいいけど、スカもいいなと言って、スカで止まったままの人もいて、そっからさらに、ヒップホップって何だろうといって、そこで止まる人もいます、なので、アナログで止まるのか、ポラロイドで止まるのか、そうした進化の流れの中で考えれば、デジタルも、その流れの一環だと思ったんです。また、デジタルも、撮った時がスタートで、そこからいくつもの過程を経て作品になるという意味では、そのプロセスはアナログと似てるかなと思ったんです。

 

(K) デジタルは複製ができることが実は問題で、写真は、撮る時にシャッタースピードや絞りや、すべてを決めてシャッターを押す。同じものはありません。作品として残せるのは一枚だけです。コマーシャルの世界でのデジタルとの比較には無理があるのを承知です。あくまでも自分の作品を、100年、500年、残すという意味で、これまで培ってきた写真技術の歴史へのリスペクトです。

 

(H) 例えば、ダビンチだったり、レンブラントだったり、ポートレートを書いてきたのは、あの頃は写真がないから。でも、いいものはこうして残っていくわけだから、デジタルであれ、クオリティーのいいものであれば残っていくんではないんですか。油絵も写真も同じようにいいものは残っていくんではないんですか。

 

(K) 怖いです。はっきり言って、写真を撮り続ける環境やプロダクトは個人の領域ではないので、今、無くしたら、元に戻すのに、また何百年もかかるから、まだ今ならギリギリで、ある意味これまでより安価に写真と取り組める時期でもあって、この時期により多くの人に写真という他にはない魅力に気がついて欲しいと思っているのです。

 

(H) そこはアナログレコードと同じで、一時なくなって、また復活している。販売枚数は売れても1000枚ぐらいなんで、それでも、販売されてる喜びがあるんで、フィルム写真も、少なくなったら少なくなったで価値が上がると思うんで、面白い環境になっていくんじゃないかと僕は思うんですが。

 

(K) 例えば、デジタルで撮った写真集を見て、なかなかいいなぁと思ってその写真展を覗いてみると、残念ながら、写真としての魅力が伝わってこない。写真の最終目的がなんであるか?写真の最終目的は生きる視点それしかないと思う。

 

(H) 実は、写真家の篠山紀信さんが、こんなことを言ってるんです。

“ フィルムの味はフィルムにしか出せないって言ってるやつは馬鹿じゃないかと思うのね。アベドンの写真が良いと言って、こんな写真が撮りたいと思った時、そうか、ローライXカメラのフィルムで撮ればいいんだって考える訳だけど、撮れないって、あの時代だから、あの時代のカメラでフィルムで撮れるんで、今の時代は今のカメラで撮れば良い。それが写真。 ” ということだといってるんです。それに関してはどうですか?

 

(K) 彼が撮ってる画像は面白くないんだよ。彼のような人にこそ写真をやめないで欲しかった。

 

— 観客の一部盛大な拍手。

 

(H) で、篠山さん曰く、フィルムの頃と撮るときの環境は同じで、ライティングもそれ以外も変わらない、利点はフィルでは写らないタイミングでの写真が撮れる。撮った後のレタッチはしない。らしいです。

 

(K) 逆に誰でも撮れるよね。

 

(H) そうですね。それは、デジタルの世界では、音楽でもなんでもそうですね。

 

少し違った見方をすれば、言葉にするのは難しんですが、アナログが流行ってるからと言って、デジタルカメラマンが押し入れから古いアナログカメラを取り出したり、CDやデジタルしかかけなかった DJが仕舞ってあったアナログレコードを取り出してやり始めるのはかっこ悪い。これまでずっと続けていたか、これから、どれを選ぶのかは自由なんだけど、その時代で、その年代で、似合ったことをするのが、自分はかっこいいと思うんです。

 

で、デジタルもアナログ写真との違いはあって別物ではあるけれど、流れ的にポラロイドを受け入れたように、テクノリジーの進化として、デジタルも写真の中にあっても良いんじゃないかなと、バッサリ切る必要はないんじゃないかなと僕は思ってます。

 

— この写真展の参加者からの質問で、カルチャーとサブカルチャーの違いについて質問があった。

 

(H) 私が大学で教えてる時に話すのは、カルチャーという言葉は“耕す”という意味のラテン語、“ Colere ”が変化したものと言われています。まさに“ 心を耕すもの、生活に潤いを与えるもの、心を豊かにするもの ”こそがカルチャーなのです。つまり、より美味しく食べたいという思いから人間は耕やすことを覚えたということでもあり、それまでのフラットな状態に対して新たに生まれるエッセンスみたいなものがカルチャーなんだと思います。で、ファッションに例えると、ライフスタイルとかユニクロみたいなものは、カルチャーは必要ないだろうし、カルチャーはいらない。で、カルチャーってのは、パンツの足が繋がってたりとか、鎖がついてたりとか、ライフスタイルに余計なものがついたりとかが、面白いと思うものがカルチャーの始まりで、最初からマイノリティーなものであって、それに対して対抗するものがサブ・カルチャーと呼ばれ、どんどん狭くマイノリティーになっていくから、方向性は同じかなと。

 

— 最後に参加者から、藤原さんにとって、写真はアートですか?の質問に。

 

(H) 写真はもちろんアートの分野だと思ってますよ。現に、今日、オークションで買ったアラーキーのポライド写真届いたので持ってますよ。投資では買いませんが、好きなものはこれからも買うと思います。

 

— ここで、対談は終了した。

 

 

さて、私の知るヒロシなら、と言っても、大学の教授を引き受けるなんて想像もしない遥か昔のことだから大して意味はないが、自らが披瀝したように、もし「デジタルからの刺客」としての参加なら、もっと切れ味の鋭い質問を矢継ぎ早に浴びせただろうし、相手が権威であればあるほどパンクな精神でグイグイ迫っていったのではなかろうか。勿論、あくまでも私の無責任なイメージですが、今回は違った。まるで老練なフィクサーのように、相手の言葉にしっかり耳を傾け、その場の求めるものを素早く察知し、三歩先の答えを用意している。さすがに、京都精華大学の教授だけあって話の進め方が巧みだった。多分その夜の観客はとても分かり易かったのではないだろうか。
久しぶりに会ったヒロシの笑顔に癒されたのか、幾分褒め殺し的な言い回しになったが、ありていに言えば、これこそが今回のテーマである、この一言「 RESPECT 」に集約されるのです。つまり、藤原ヒロシは写真家三好耕三をリスペクトしている。そして、三好耕三も藤原ヒロシをリスペクトしている。そして、会場に詰めかけた人々もまた、二人をリスペクトしている。おまけに、この文章を書いている私も二人をリスペクトしている。更には、会場のVACANTへのリスペクトもあらかじめ重要だ。そう、何かを為すには全ての核に頭の真ん中に、このリスペクトがあるかどうかだと思う。そこにリスペクトがあれば、対談の骨子を炙り出すためのギミックやエフェクトにも、” 分かったよ “の笑顔が浮かぶだろうし、今回でいえば、篠山紀信のくだりがそうだ。

意見の対立は、そこにある真理を浮かび上がらせる為に必要なことで、そこにリスペクトがあれば悪意ある感情は生まれない。真剣だが穏やかなリスペクトのオーラがその空間を支配することになる。そうまるで今回の対談は森林浴でもしているようなオーラに包まれた対談だった。

 

最後に、私の私見を述べるならば、アナログ写真を後世に伝える社会運動に異論はない。が、問題の視点は、東京でも日本でも世界でも宇宙でもなく、たった一人の写真家の存在に尽きると思う。私の場合は、同じ時代を共に生きている、三好耕三さん、たった一人の存在だ。この人が残したものが私の大切な写真の全てなのだ。だから誰もが、そうした写真家と出会うことで、未来永劫、写真文化が継承されるのではないかと思う。デジタル写真は写真ではない。ではなく、三好耕三が写真だ。

では、私のリスペクトした写真を紹介して、この回を終わることにする。

みなさん、いい写真をたくさんみましょう。

 

つづく。

文・画像 初代選曲家 桑原 茂→

なんという笑顔。ここ十数年、こんなにもヒューマンな笑顔を見たことがあっただろうか。心底あったかい笑顔だ。この笑顔のお陰で私も死ぬまで生きれそうな気がしてきた。ヒロシ、三好くん、ありがとう。
(19歳の頃から、私たちは、三好くん、茂→くん、だったので、他の呼び名がどうにも息苦しい。先生ごめん。)

photo by Chikara Hayashi

オリジナルはカラー 壁の革命に惹かれた。

photos by Hikaru Yano

馬の目に目がないのです。生まれ変わったら馬と暮らしたい。

photo by 三好耕三
会場でデジタルカメラで撮った画像に後からトリミング色調可変等好き勝手に遊びました。ベーリーソーリーアベ・ソーリー

 

画像 桑原 茂→


情報

[ New Old School ]
http://darkroom.jp/

 

三好耕三

1947年千葉県に生まれる。1971年日本大学芸術学部写真学科卒業。
1991年より文化庁芸術家在外研修員として、アリゾナ大学センター・フォー・クリエイティヴ・フォトグラフィーで1年間研修後、引き続きアリゾナ州に滞在。1996年に帰国。現在、東京を拠点に制作活動を続けている。
http://www.pgi.ac/content/view/123/66/lang,ja/

 

藤原ヒロシ

京都精華大学 教授
ポピュラーカルチャー学部
専門分野 ファッション / 音楽
経歴・業績
1964年、三重県生まれ。fragment design主宰。80年代からDJとして活動し、ヒップホップ、クラブミュージックを中心に自らもステージに立つ傍ら、UAなど人気アーティストのプロデュースも手がける。現在、音楽プロデューサー、アーティスト、ファッションデザイナーなど多方面で独自の活動を続けている。半生を描いた書籍に、『丘の上のパンク 時代をエディットする男・藤原ヒロシ半生記』(川勝正幸・著)がある。

 

VACANT
https://www.vacant.vc/


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Profile

  • 桑原 茂一

    初代選曲家、毎週金曜日夜11時Mixcloud PirateRadio(海賊船)、 創刊1988年 free paper dictionary編集長