Look Book Cook Records No.29

三好耕三作品展「繭 MAYU」

1.28, 2019

桑原 茂一
  • art&culture
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養蚕は、古く紀元前に中国から伝わり、明治時代の隆盛期を迎え、その後、昭和の初め頃まで、日本経済を支える重要な産業のひとつでした。古くから伝わる方法と、長く使いこまれた道具に大切に育てられた、なんとも言えない愛らしい曲線と美しい絹色の繭玉ですが、自然と、人間の生活の関わり合いの中で、時に経済に翻弄された時代もありました。そこには、人間と自然の関わり合いの美しい部分、暗い部分の両方が潜んでいます。
(プレス・リリースより)

“ カワイイ! ”

 

この写真に遭遇していきなり発する響ではないように思うが、蚕を飼い始めるとこの姿が可愛いく思えるそうだ。
初見ならどう見ても蛆虫だろう。しかもあなたの体内にこのような生物が居るかも警笛で脅迫を受けた世代としてはそう簡単に可愛いなどと丸め込まれることは容易くない。

 

人文字というのはあるが、蚕文字のアルファベットもあるのかもしれない。

 

そんな話をしたいわけではない。

 

今回はあなたが写真を語る上で必ず試金石になる写真展の紹介だ。
もっとも古くからの友人で、もっとも尊敬する写真家、三好耕三さんの写真展の鑑賞報告が今回のテーマだ。

 

写真とはデジタルデーターのことです。か?
デジタルが写真だとほぼほぼ認識される時代に、
最近、三好さんは自分の写真に関して「 道 」という言葉を使うことがあるそうだ。
敢えて「道」と言う表現を使う三好さんの心境を私なりに考えてみた。
で、道という言葉から連想するのは、茶道、華道、書道、香道、武道では剣道、弓道、等だが、
日本では、茶道、華道、書道が伝統芸能の三道とされるそうだ。

 

三道(さんどう)とは、

“仏教において有学道、無学道の過程を表した言葉。
日本においては伝統芸能や武道などを三つ併せた総称。”

引用元:ウィキペディア

 

その昔、とあるニューウェイヴのミュージシャンが私にこう吠えた。
“ ロックがいつの間にか伝統芸能に成り下がって「ロック道」になった今、ようやく自分たちの出番が来た。 ” と。
それを聞いた瞬間「道」がダサイものの代名詞になってしまい未だに払拭しきれていない側面もあるが、
幾分歳を重ねたことで伝統芸能の真髄もある程度識別できるようになった気もしている。
というのも、今は亡き、スティーブ”・ジョブズが愛した名著「弓と禅」を偶然本屋で拉致し手篭めにしようとしたらこんなフレーズに足払いを食らった。師範はこう言う。弓道のを習得しようとするなら、「道場には心を集中して来なければなりません。この道場で行われることに焦点を合わせるのです!あたかもこの世の中には重要で現実的なただひとつのこと、すなわち弓を射ることだけが在るかのように」と。

三好耕三さんが「道」というとき、ふとこの本のことを思い出したのだ。
弓を射る。を、写真を撮る。に置き換えれば自ずと「道」と言う言葉の重さが心に沈む。

 

さて、フランスでアバウト19世紀に誕生した写真が日本の伝統芸能としての「 道 」を名乗るか否かの論議には甚だ私は門外漢だが、
誰にも歩むことのできない茨の「道」を歩いているという意味での日本人の写真家三好耕三は世界の写真史に残る美しい星であることは間違いないと私は信じている。

 

“蚕はなんと自分の部屋を自分で決めるんだよ。” 三好さんが嬉しそうにこの写真をみながら教えてくれる。

そう言われれば、この小さな升で囲まれた縦横の数が予め決められている木枠が、団地のようにも思えてきた。

差し詰めこれは高層団地ということか、高い所には私は住めませんねぇ〜うん?
この団地は縦に積むのではなくて、横に並べられることもあるの? じゃ、江戸時代からつづく平屋の長屋だ。

 

ぎっしり繭の詰まった高層団地もあれば、まるでシャッター商店街のように歯抜けになったガラガラの長屋もある。
なんだか庶民の暮らしをみているような気になってくる。つまり蚕さんたちは自分で部屋を選べるだけで、生きるためには奴隷のように働き、ほんのちょびっとだけ制限付きの自由を謳歌する。私たちの人生と全く変わりはない。
しかも、私たちと明らかに違うのは、この膨大な数の繭から絹を生み出すには、繭たちを一斉に釜茹でにして繭の中に暮らす蚕たちを生きたまま皆殺しにしなければならないのだ。う〜ん、なんだかナチスの収容所のことを思い出してしまった。人間とはなんと恐ろしい生き物か。
どんなに平和主義を唱えたところで弱肉強食の世界から人類は逃れれないのか?なんて短絡的な話をしたいわけではない。
アバウト25年程度先のAIの役割が成功した未来では、これまでの人類のカルマから解き放たれた本当の意味での進化した人類になっていると私は信じている。もちろんその頃には私は存在していないのでスラスラスイスイスイでお願いしたい。

さて日本の養蚕業をウィキペディアから抜粋し、私たちの歴史を振り返ってみる。

 

“明治時代に至り養蚕は隆盛期を迎え、良質の生糸を大量に輸出した。養蚕業・絹糸は「外貨獲得産業」として重視され[1]、日本の近代化(富国強兵)の礎を築いた。日露戦争における軍艦をはじめとする近代兵器は絹糸の輸出による外貨によって購入されたといっても過言ではない。明治以降の皇后は、産業奨励のため養蚕を行い、現代にいたるまで継承している[6]。農家にとっても養蚕は、貴重な現金収入源であり、農家ではカイコガについては「お蚕様」と接頭辞を付けて呼称したほどである[7]。もうひとつの背景としては、同時期においてヨーロッパでカイコの伝染病の流行により、養蚕業が壊滅したという事情もあった。1900年頃には中国を追い抜き世界一の生糸の輸出国になり、1935年前後にピークを迎える。
だが1929年の世界大恐慌、1939年の第二次世界大戦、そして1941年の太平洋戦争によって、生糸の輸出は途絶した。一方で1940年には絹の代替品としてナイロンが発明された。戦災もあって日本の養蚕業は、ほぼ壊滅に至る。

 

敗戦後、食料増産を優先したため養蚕業の復興は遅れたが、1950年代に復興することとなる。しかし戦前のようには輸出できず、1958年には養蚕業危機に直面し、桑園2割減反の行政措置を取られる[8]など、水を差されることもあった。

 

高度経済成長によって内需が伸びてくると、1966年の日本蚕糸事業団法施行と各地での養蚕団地の取り組みなどもあり、内需に応じる形で生産が増加し、東京都下(三多摩)などを中心にようやく1970年代に再度のピークを迎えた[9][10]。とはいえ、繭生産量、生糸生産量とも、1935年の半分以下に過ぎず、また1962年(昭和37年)の生糸輸入自由化[11]を経て、このころには一大輸入国に転じていた[8]。その後、一元輸入制度導入、蚕糸業振興資金の設置等が行われるも、1973年の第一次オイルショック以降、価格の暴落・農業人口の減少・化学繊維の普及で衰退が進み、1994年(平成6年)にはWTO協定で再度自由化され、1979年には収繭量1トン以上の大規模養蚕農家だけでも15,497戸あったところ、2016年には全国の養蚕農家数は349戸にまで減少している[9][10]。都下の養蚕業者数も全盛期の30軒[12]から2014年には6軒まで減少した。

 

数万頭の蚕の生育度合を調整して同じタイミングで上蔟(じょうぞく:蚕が繭を作り出すこと)させるなど、日本の養蚕農家には特筆されるべき技術・知恵が残っている[13]。”

引用元:ウィキペディア

 

 

日本という国のことをあまりにも知らない自分が恥ずかしくなりました。

か?

自分の国のことを知ろうとしないから私たちはいつまでも奴隷のままなんだと思う。

か?

言い方を変えれば、奴隷に甘んじているから自分の国のことに興味を持てないとも言える。

か?

三つの、「 か? 」 を今回のお土産にお持ち帰りください。

幕間 

Gould – Scriabin Sonata no.5, Op.53 (complete)

 

さて、不思議な魅力を湛えた「繭」の写真をみている私は一体何をみているのだろうか?

ふと、思い出したのだが、海外では牛を縦に真っ二つにして、

それがまるで解剖図のように明快に解るようにガラスに閉じ込められた作品が、

現代美術の優れた作品として評価されていると聞いことがある。

アンリ・ロバート・マルセル・デュシャンの「 泉 」

1917年、美術家であるデュシャンがどこにでもある便器を展覧会で飾り、

美術とは「新しい思考の創造」と宣言したとか、

これが現代美術の先駆けと称されているそうだ。

三好耕三さんは、別れ際にこう言った。

私が道という言葉を使うのはね、自分にしか撮れない写真を撮って来たし、それをこれから先も撮り続けたい。

美しい夕焼けとかは撮らないし、私には撮れない。つまり世界には写真では撮れないものがあると思う。それは私は撮らない。

しかし、写真でしか残せないものが間違いなくある。それが私の道なんだと思う。

 

幕間

Scriabin,Sonata para piano Nº3. Glenn Gould

 

そして私は三好耕三の「繭」の写真の前に居る。

私たちの歴史を紐解くこともできる美しい「繭」。

その写真はとても静かだが過ぎ行く時間と共に刻々と変化するように私にはみえる。

私は自問する

写真のことも美術のことも世界のこともまだ私は何も知らない。

わからないままこの世から消えてもいい。

私は写真をみている。

私は 「 道 」をみている。

自問は終わらない。

 

ending

Vladimir Sofronitsky plays Scriabin Impromptu No.2 in B flat minor Op.12

 

 

文・初代選曲家

桑原 茂→

 

 

All photographs (C)Kozo Miyoshi, Courtesy of PGI


情報

三好耕三は、1970 年代に写真家としてのキャリアをスタートさせ、1981 年から 8×10 インチ判の大型カメラでの撮影を始めました。

これまで数多くの作品を生み出してきた三好は、1980 年代に「Innocents 天真爛漫」、「Picture Show 傍観」、「Conservatory 温室」、など日本人や日本の原風景を捉えた作品を発表した後、90 年代には 5 年間、米国アリゾナ州ツーソンに滞在し、「Southwest」、「Chapel」、「CACTI」、「Airfield」、などの作品を発表、 綿密な描写による独自の写真世界を広げていきました。

2009 年からは 16×20 インチの超大型カメラに持ち替え、旅の途上で出会う光景に、一会の傍観者として対峙するスタイルで、旅と撮影を続けています。

また「ROOTS」や「CAMERA」、「SABI」シリーズなど、これまでにも旅と旅の合間に、決まった場所と 光でひとつのモチーフを見つめることがありました。

本作「繭 MAYU」は、旅の途上、ある出会いで繭農家を訪れたことがきっかけとなって、ひととき足を止めて撮影されました。

 

三好耕三作品展 「繭 MAYU」 2019 年 1 月 8 日(火) − 2 月 23 日(土)

 

月 − 金 11:00 −19:00 / 土 11:00 −18:00 / 日・祝日休館 / 入場無料

PGI 〒106-0044 東京都港区東麻布 2-3-4 TKB ビル 3F TEL.03-5114-7935

http://www.pgi.ac

 

Kozo Miyoshi “MAYU” January 8 – February 23, 2019

Monday to Friday:11:00-19:00 / Saturday:11:00-18:00 / Closed: Sunday and National Holidays

PGI TKB Building 3F, 2-3-4 Higashiazabu, Minato-ku, Tokyo


 

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Profile

  • 桑原 茂一

    初代選曲家、毎週金曜日夜11時Mixcloud PirateRadio(海賊船)、 創刊1988年 free paper dictionary編集長