Look Book Cook Records No.40

恋する心は知性なんだ。

a gay romance film
[God's Own Country ]

6.21, 2019

桑原 茂一
  • art&culture
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[God’s Own Coountry]

 

この映画のタイトルは直訳すれば「神の国」だが、いろいろな解釈があるようなので、
気になって調べてみたら、監督・フランシス・リーのインタビューで明らかになった。

 

“ 「god’s own country」はヨークシャー地方の人々が地域を表すフレーズなんだ。
私はその言葉と育ち。誇りに思っている。
サブフレーズは「天国についてのもので自分で作り、見つけられる場所のことなんだ。」”

 

「 天国は、自分で作り、自分で見つけられる場所のことなんだ。」

 

なんと希望に満ちたメッセージだろうか。
天国とは生前に良い行いをした人だけが死後に入園出来る楽園だと子供の頃は思っていた。
しかし、天国もヨークシャーもまだ私は行ったことがないので勝手な想像に過ぎないが、
宗教色の強い保守的な土地柄で育った監督がこの台詞を発するからには言葉にならない厳しい過去があったのかもしれません。

 

“Q、映画のアイデアはどこから?
映画の出発点はヨークシャーの景色だ、その景色に育てられてまた探求したいと感じた。
自分にとっては信じがたいほど自由な場所だったけれど、同時に圧倒的で残忍で息苦しい場所だった。
同時に人が恋に落ちるということがいかに困難かという過程を描きたかった。”

 

信じがたいほど自由な場所だったけれど、同時に圧倒的で残忍で息苦しい場所

 

現政権下の東京で生きる私にも存分に共感を呼ぶフレーズである。
もちろん、ここには信じがたいほどの自由はモチロンないが。
で、フランシス・リー監督のこの台詞に惹かれ、私はこの映画を紹介したいと思ったフレーズはこれだ。

 

“人が恋に落ちるということがいかに困難かという過程を描きたかった。”

 

監督曰く、宗教的でも政治的でもない自らの経験を元に個人的な思いを映画にしたそうです。
しかもこの映画は彼の処女作品でもあるとなれば未来の作品への期待も高まるばかりだ。

 

ではここで、哲学者・内田樹さんの書籍「映画の構造分析」から引用させていただきます。

 

“映画監督というよりもフィルム・メーカーと名乗る監督の方が、映画作りに関わる人間の言葉として、たいへん適切な表現だ…。
「フィルム・メーカー」はプロデューサーや監督だけを意味するのではなく、
映画製作にかかわったすべてのスタッフ、キャストの一人一人の事象であると同時に、彼ら全部を含む集合名詞である、

 

つまり、映画は集合体としての「フィルム・メーカー」による集団的創造の産物です。”

確かに監督の意志を多くの人々と共有することができなければ、
言語や文化を超えて人々を感動させる映画は生まれないという事実はもちろんのこと。
脚本からは見えてこない制作現場で生まれる予測不可能な出来事の全てが映画には現れてしまう。
一見地味で暗く万人向けでもない映画 [ a gay romance film ]を意義ある映画として制作するする知的センスの高い英国という国を改めてリスペクトしたい。と書き連ねているうちに途中から私の耳には勇壮で高貴な英国国歌が流れ直立不動でPCと戯れているが、
映画の主人公たちの会話に、こんな単刀直入で剥き出しな台詞のやり取りがある。

 

“変態”

 

“ホモ野郎”

 

こんな言葉を投げかけられたら衝動で殴りかかるだろう瞬間、
お互いの心の扉が開くのだ。つまり恋心を露わにする瞬間でもある。

 

そして監督はこのゲイの恋愛映画をこう表現している。

 

“Q,男性同士ではなく男性と女性に置き換えたら?同じにはならない?

 

A,全く違うね、女性にはない強大な力と彼らが抱く恐怖がある。

 

gocはとても男性的な映画でそれは重要事項だ。僕たちは最後の章で男性性を消失させる。
僕はメディアで何故それが起こったかを語ってきた。”

 

ここでもう一度私の敬愛する哲学者・内田樹さんの書籍「映画の構造分析」の中で引用している哲学者・ロラン・バルトの言葉を引用してみたい。

 

“「映画は(いわば神学的な)唯一の意味を発する語の連鎖から成るものではない(そうだとすれば、その意味は「監督=神」からのメッセージであることになる。)そうではなく、映画は多次元的な空間であり、そこから多様なエクリチュールが睦みあい、またいがみ合っている。
それらのエクリチュールはいずれも起源的ではない。映画は文化の無数の発信地から送り届けられる引用の織物である。」”

 

内田樹:http://blog.tatsuru.com
ロラン・バルト:https://ja.wikipedia.org/wiki/ロラン・バルト

睦みあい、男女の睦み合い。男同士の睦みあい。女同士の睦み合い。人類の睦み合い。なんだかしっくりくる日本語だ。
しかも映画を引用の織物という内田さんの息を呑む的確な解釈に映画への知的好奇心がマキシマムに上昇する。
で、この映画の監督フランシス・リーが言うように、

 

“映画の背景には必ず真実がなければならない”

 

正直に話します。実は私が想像力に歯止めをかけていたものはズバリ男同士の性行為へのブラインドだったと思うのです。
が、この映画を見てしまったから言うわけではないが、男男、男女、女女、を問わずやはり行為そのものはノンケの野生的なものだと思う。
そろそろ白状しなければならない、この映画のリアルな描写に衝撃を受け、子供この頃のトラウマが蘇ったのかもしれません。
なぜなら私の育った環境はゲイの人々に寛容ではなかったからです。そうゲイはスポイルされる対象だったのです。だからもし自分がゲイだったら?
が歯止めの原因です。というのも小学生の頃、うちには風呂がなく銭湯に通っていた。ある時、銭湯の帰りに変なおじさんに跡をつけられて怖くなり走って帰ったことがあった。私は母方の祖母の家に預けられていたので、もちろんそのことを話す相手はいない。で中三で東京へ、高校生時代から働いていたこともあり、当時私がそう見えたのか?ゲイ・バーからのスカウトを始め、危険な遭遇を回避したこともなかったわけではない。が、これまでGAYとの恋愛経験はなく私は女性との恋愛を望んだ。そして幸運にもいくつかの恋愛経験と子宝にも恵まれた。そしてお役目も終わり現在は独身生活を満喫しているものの、これまで知りあった気の合うゲイの友人たちとはノンケの友人と変わらず大切にしている。しかもゲイの友人たちの心遣いや優しさには助けられることも多く私は個人的だが心からGAYの友人を尊敬している。

このリアルなGAYの恋愛映画からノンケの私が学んだ「知性的なプロット」の描き方を箇条書きにしてみた。

 

題して恋する心を生み出す映画的なテクニックとは何か?

 

一、ほっとけば死んでしまう未熟児で生まれた子羊を昼夜看護し蘇生させ、更には死産で生まれた子羊の皮を剥ぎそれを未熟児の子羊に着せ、死産を悲しむ母羊に自分の子羊だと錯覚させる。このフェイクは本物の牧童にしかできない知的なラブ・テクニックだと思う。
ルーマニアからまるで難民のように渡ってきた牧童(差別的な名称ではジプシー)に反発する未熟な牧童が、いつしか恋する男へ導く為の見事なプロットでありノンケの観客の涙腺を緩める憎いプロットでもある。まさに牧場での経験が豊かな監督の知性そのものである。

 

二、凍りつくような寒さの中での単純な力仕事の途中誤まって自分の手のひらをパックリ切り開いた未熟な牧童の手を取りそのまま自分の唾液で消毒し、”痛みは我慢しろ”と男ぽい笑顔を浮かべるルーマニアから自分の天国を求めてエスケイプしてきた真の牧童の愛溢れる優しさは、それまでよそ者のジプシーと蔑んでいた未熟な牧童の心をいつしか恋する男へ導く為の見事な見事な知性溢れるプロットでもある。

 

三、この映画の舞台でもある美しい春のヨークシャーの風景にルーマニアから流れて来た真の牧童が見とれている。
もしかしたら彼は二重の意味で、天国に仕える天使的役割を担っているのかもしれません。
その名はハニエル。美しさと優雅さを司っている他、自然の力を象徴とする大天使で、音楽や芸術といったアーティスト的な天使役なのかもしれません。ルーマニアから天国を見つけにきた天使はこう言う、” 私の国も春の風景が何よりも美しい。”
しかし、子供の頃から見飽きている未熟な牧童にはその天使の心情が分からない。
さらに天使はこう言う。この土地の風景も美しいいが、ここに住む人々は孤独だ。と。
もし仮に、ここが天国であっても、それに気づくことがなければここは美しいだけの暮らす人たちには残忍な地獄に過ぎないのかもしれない。
このプロットもまた未熟な牧童の心をいつしか恋する男へ導く為のものであり、映画の底辺を這う深いテーマをさりげなく問いかける監督の美しい知性の発露でもある。

以上、恋するための知性検証のほんの一部だが、映画の中では見逃してしまうほどの小さなプロットであっても、積み重なることで明快なそして映画的な説得力を持つ。

 

つまり、“ 人が恋に落ちるということがいかに困難かという過程を描きたかった。”

 

その監督の狙いは間違いなく成功している。それは世界の映画祭の反応を見れば明確だ。

 

「映画は文化の無数の発信地から送り届けられる引用の織物である」

 

内田樹

 

この映画はゲイたちの恋愛映画ではあるものの背景には今という時代の空気感が漂っている。

 

そして、私にこう問いかけてくるのです。

 

あなたは本当の恋愛をした事があるのか?

 

そして私は自分に言い聞かす。

 

恋する心は知性なんだ。

 

もしかしたら、フランシス・リー監督はそれを「真実」と称しているのかもしれません。

 

 

画像・文 桑原 茂→

 

連載第40回目のLOOKBOOKCOOKRECORDS40をイメージして選曲しました。
よかったら聞いてください。

 

余談。

 

1978年、TBSラジオ『スネークマンショー』の「ウェンズデースペシャル」で、タックがパーソナリティを担当したゲイの番組がもとになり、ミニコミ「ウェンズデーニューズ」が発行され、「OWC(アウアズ・ワーク・コミュニティ)」というゲイ・グループが生まれた。

私のディレクションで制作していたラジオ番組「スネークマンショー」が多分日本で初めてのゲイのカミングアウト番組だったと思います。
あの頃の私を取り巻く環境から、マイノリティーへの不当な弾圧にパンクムーブメントに熱くなるのと同じ若気の至り的衝動だった。
今思えばもっと広がりのある方法で行動すべきだったと自責の念に駆られます。

 

“LGBTの社会運動は、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の性や性的少数者の社会的な受容を目標として共有して改善を求める行動を指す。

日本のLGBT運動・団体の歴史
・1971年、東郷健が同性愛者であることを公言して参院選に初立候補。同性愛者の権利獲得と存在をアピールした。
・1976年11月、ゲイ団体「日本同性愛者解放連合」が結成され、10人近いグループで数年間活動した。
・1977年3月、「フロントランナーズ」が結成され6人前後のメンバーで数年間活動した。
・1977年5月、既成のゲイ雑誌に不満を持つ人たちが、ゲイリベレーションを編集趣旨としてゲイマガジン「プラトニカ」を発刊。同誌を母体に「プラトニカ・クラブ」が結成され、1979年に最終4号を出して解散した。
・1979年3月、このプラトニカから数人が参加してJGC(ジャパン・ゲイ・センター)を結成し、ミニコミの「GAY」を8号まで、「CHANGE」を2号まで出し、1982年に解散した。JGCはミニコミをメディアや文化人に送付したり、差別的な報道に抗議したりした。「CHANGE」は1981年8月号で「拝啓 伊藤文学殿」と題して、同性婚を否定し女性との婚姻を勧めるコラムを書いた薔薇族編集長伊藤文学(異性愛者)に抗議を行った。
・1979年、東郷健が「雑民党」の前身の「雑民の会」を設立。
・1978年、TBSラジオ『スネークマンショー』の「ウェンズデースペシャル」で、タックがパーソナリティを担当したゲイの番組がもとになり、ミニコミ「ウェンズデーニューズ」が発行され、「OWC(アウアズ・ワーク・コミュニティ)」というゲイ・グループが生まれた。”


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 


 

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Profile

  • 桑原 茂一

    初代選曲家、毎週金曜日夜11時Mixcloud PirateRadio(海賊船)、 創刊1988年 free paper dictionary編集長