先斗町。Vol.1

路地に脈々と受け継がれる文化は秘密結社のごとく。

7.13, 2018

TRAVELING COFFEE 店主:牧野 広志
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先斗町 花街。
目には見えない空気が ろーじ から吹き抜ける、

 

 

ここは立誠学区と呼ばれるブロック。
京都は学区で地域を呼び合う習わしがある。

 

河原町のど真ん中を陣取った強烈な個性派町っ子の地、

 

東は先斗町、西は寺町通り、南は四条通り、北は三条通り、
実に恐ろしい・・・

 

7月から祇園祭りも始まった、

山鉾巡行では四条河原町交差点で辻回しが行われ、四条から三条通りを山鉾が巡行し清めていく。
実は祭りの最も重要な行事である神様を乗せた神輿「神輿渡御」では、寺町を通り、
西御座 錦神輿会は河原町三条木屋町間を、
中御座 三若神輿会、東御座 四若神輿会は三条四条木屋町間を抜けていく。

 

と、まぁ、

 

世界中からこの京都に人が来る、
まさにその中心地、、

 

京都五花街を歩けば、舞妓はんや芸妓さん、お茶屋のお母さんが日常に溶け込んでいる。

 

手を振って「おはようさん」、言葉無くアイコンタクトでニコッ。
日頃この地域に関わる人達の特権的なパスポートだ。

 

元お茶屋のお母さんのお店に一人で行けば、「計算できまへんからお代はいりまへん」と言われてしまう、

 

「ちょ、ちょ、ちょと待って払います!」

 

で、お代を払えば、お代以上のお食事券を手渡される、
なんか、嬉しいやら申し訳ないやら・・
5月から始まる川床、床でご飯を食べたのにお代を取ろうとしない無茶ぶり、、

女将さん堪忍して〜

 

観光客でごった返す先斗町にもまだまだ地域密着の根強い文化が残っている、
いや、残し続けているのだ。

 

そして花街には不思議なルールがある、

 

が、

 

それは遊びをした人のみが学べる非日常的な約束事なのかもしれない・・・

戦後の先斗町の話をこの町の生き字引、早々たる女将さん達から聞く事が幾度もある、

敗戦した日本にはアメリカ軍がドドっと流れ込んで来た。

 

GHQ、

 

原爆ポイントから逃れたここ京都にも、

 

そして花街にも、、

 

舞妓はんは何処へ?

 

・・・。

 

 

さて、この花街先斗町にも美味しいお店は当然の如く数珠繋ぎ、
とは言うものの、観光産業と共に新しく出来たお店も数多い。
そんな中、古くからの名店はどことなく肩の力を抜いて本来昔ながらの姿で営んでいる。

 

 

 

先斗町 ちどり25番路地突き当たりにある、ニッカ専門ハイボールのお店であり洋食屋でもあり、二つの顔を持つ「一養軒」。

 

創業は1922年に一本西の木屋町通りからスタートし、
戦後にお酒を出していたとか、、
その後、1978年に先斗町の自宅を店舗に変えたそうだ。
かれこれ100年近い。

 

ここ一養軒のチキンカツがたまらない、
とにかく真っ平らに叩かれたチキンをサクッと茶色く揚げ、ドミーソースで頂く、

 

ドミーソースて何?

 

一養軒ではスジ肉と野菜を焦がして煮込みあげたデミグラスソースをドミーソースと呼ぶのです。

 

オーダーが通ると、”チーン”とバーカウンターで鐘を鳴らし二階の厨房(台所?)に注文が行く、
しばらくすると料理の品々が上から下に降りてくる、

 

ここは全てがベストな状態で止まっている、ガヤガヤとした世界から離れ一気に時間軸を曲げてくれる、
長く受け継がれた正統派であり老舗である。
このトリッキーな時間と空間が風呂上がりの様に気持ち良く尚且つリラックスさせてくれる、
結果、料理も美味しく頂けるわけだ。
当然 ハイボールも。

 

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さてさて、もう一軒、

 

京都の中華は他と比べ特別である、
それが世に言う京都中華。

 

文化としての京都中華は高華吉氏によって作られた 鳳舞系 と呼ばれる一つの一大派閥でもあり、
出汁文化、京の食文化、着物文化、地下足袋の世界、それこそ舞妓さん芸妓さんの口に合わせて生まれたと言っても過言では無い。

 

 

系統は違えど、先斗町路地奥から出て来た「中華菜家 一品香」。
先代が元々ホテルの中華を担当していたとか、、
先斗町の細い路地裏で40年、
路地奥から表に移って11年、
しっかりこの花街に根付いた店である。

 

急ぎ時はここでパパッと食べる、
海の幸と野菜のラーメンや、あんかけ焼きそばが私の定番だ。

 

 

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京都中華はあんかけが本当に美味い。
いわゆる出汁が効いている、
中華とは一言で言えないのが確かであり、
いわゆる「京都中華」と言う一つの文化がしっかり伝わる。

 

(ちなみにこの学区で鳳舞系と言えば、高華氏より直接薫陶を受けた最後のレジェンド 龍鳳 が新京極にあります。)

 

 

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この路地にはまだまだたくさんの美味しい老舗が並んでいるのです。

 

お腹がふくれたら大黒町へ、
昭和25年創業、街のサロン、河原町のオアシスと呼ばれた「六曜社」でコーヒーを飲む。

 

京都の喫茶珈琲文化を創り上げた先人の名店である、
三代目 薫平くんの淹れてくれるコーヒーでほっこり一息ですね。

 

さて、

 

 

急ピッチで開発が進められている立誠小学校跡地は坂本龍馬の土佐藩邸跡地でもある、
隣には土佐稲荷があり、今でも龍馬の息がどことなくかかっているのだ。

 

 

 

この学区に関わる地域の人達は代々この町で住み生活をしている、
歴史で習う事の無い受け継がれた事実が見え隠れし、当たり前の様に話してくれるのだ、

 

特に龍馬の話しになれば、
「え、ええ、本当に、、、」
と言う話しの連発なのです。

 

地域と関わりその文化を理解し供に守り、時には共に作ると言う一連の流れは、もはやそう簡単には理解できず、脈々と秘密結社の様に団結し地下に潜っている。

 

そして、マグマの様に熱い思いがある日、火山の噴火の様に動き出すのだ。
河原町のど真ん中とはそう言う場所でもあり、
そう云う人達に寄って支えられている街なのです。

 

 

アナザートリップ、

 

「おいでやすぅ〜」
先斗町の細い ろーじ から響く誘惑の声。

 

お茶屋遊びは、して語るか、せずに語るか。

 

お座敷から玄関を開けて一歩通りに出るといきなり現実に引き戻される、
現実離れした文化は身体で感じるしかない。

 

先斗町は江戸時代に作られた最先端の町、
一見さんに寄り添い過ぎると良さは壊れてしまう。
そして、ろーじ の町。
ちどりが飛ぶ町、こうした路地が魅力を深めていったのも確かだろう。

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少し西に行けば、
角倉了以によって高瀬川開削という後世に残る画期的な人工運河を持つ町、
いろいろな事業をやり続け街を変えた彼の存在は、今で言うならスティーブ・ジョブズの様な存在だったのかも、

 

と、、

 

ふと思う。

ディープでエレガント、

 

慢性的な観光産業に振り回されながら、
偉大なるマンネリを繰り返す日々、
世に言う大きな安らぎはそこには無いのかもしれない、

 

が、

 

それでも人々はそこに集まってくる。
その理由は、この路地で生活をしている人達の地元愛であり、知恵であり、意識の高さと地域力なのだろう。
その地が生む小さな安らぎはどんな事があっても受け継がれて行くべきである。

アナザーキョウト、
リアルは画面の中には存在しない。
貴方の知らない京都は確実に下界で存在し、「いけず」によって守られている。
御呪いは「世直し、世直し」。

 



▽先斗町。
vol.1

▽下町。
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Profile

  • 牧野 広志TRAVELING COFFEE 店主

    1966年生まれ。
    94年渡仏、90年代をパリ ルーアン リヨンで暮らす。
    2002年 帰国後、京都の新しい情報発信空間の提案者として文化と地域に密着中。

    -TRAVELING COFFEE -
    昭和2年築の木屋町 元・立誠小学校 職員室で営業していたTRAVELING COFFEE が耐震補強工事の為に高瀬川沿いに建てられた仮設の立誠図書館内で営業。
    図書館の選書はブックディレクター「BACH」幅允孝氏。
    珈琲はブレンド2種類に加え、シングルオリジンは京都府内の焙煎所を毎月選び焙煎家と話し合い常にオリジナルを4種類程オーダーメイド。