先斗町。Vol.3

想定内と誤算のコントロール。

2.5, 2019

TRAVELING COFFEE 店主:牧野 広志
  • art&culture
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ある日、女将さんが私の耳元に口を近づけ小さな声で呟いた「もうお店暖簾下ろすしな」

 

私は、「えっ!?」と自分の耳を疑った。

 

「お母さん・・」これ以上返す言葉が浮かばなかった、、

 

封筒に入った直筆の一通の手紙。

 

そこには長い歴史と断腸の思いがつづられていた。

 

「まだな、誰にも言うてへんしな」と。軽い口止め・・・

私はこの町と関わり女将さんには心底可愛がって貰った一人だと認識している。

 

コーヒーを飲めない女将さんが毎日コーヒーを飲みにくる。

 

それは愛着のある生まれ育った先斗町の真正面 地元の町だったからこそかもしれない。

 

地域愛。

 

毎日コーヒーを飲みに来る姿ももう見れなくなるのか、、、。

2019年 冬。

 

暖冬と言われた今年、しかしながら今年も見事に金閣寺に雪が積もった。

そんな中、悲しいお知らせが続く、、

一際眩しい花街 先斗町、

その街で名物女将が暖簾を下ろした。

また一軒、、

京都五花街の一つ先斗町で昭和39年から営業を続けてきた「山とみ」さんが55年の歴史に幕を閉じた、、、

残念でならない。

 

顧客3000人以上と言われる女将さん。

 

当然私もその中の一人。

 

暖簾をおろすと噂が出た日から連日の様に全国から顧客さんがやってくる。

 

今までこんなお店は見た事がない、、

さて「山とみ」の歴史と言えば大正14年まで遡る。

 

元々は「山登美」として花街で舞妓さん芸妓さんのお茶屋さんであった。

 

当時、先斗町には一見さんお断りのお茶屋さんが60軒以上あり、その中の一軒として一際輝いていたと聞く。

 

昭和39年に代々受け継がれたお茶屋からお食事処に変え21歳で女将さんになったそうです。

高度経済成長期の波に乗りお店は繁栄し、その後のバブル絶頂期で瞬く間に人気店となった。知名度は全国区。

日本経済の酸も甘いも知り尽くした先斗町の名店女将の長い歴史である。

京都・パリ姉妹都市40周年を記念しその一貫として、パリのセーヌ川に架かるポン・デ・ザール(芸術橋)を鴨川に架けると言う話しが浮上した。

1997年に市議会で可決され三条~四条間でのポン・デ・ザール建設が発表されたのだ。

 

当然みんな驚きは隠せきれない状況であったと当時を振り返る、、

 

賛成派、反対派、両方いたかと思います。

 

そこにパリ的な橋はいるのか?

 

いらないのでは?

 

いろいろな意見が街中を駆け巡った、、

 

「その橋はいらないだろう」

 

と、

 

先斗町の秩序を守る為に立ち上がり闘った「平成のジャンヌダルク」とは、そう、女将さんの事である。

 

なぜそこまでして京都市とパリを相手に反対したのか・・

 

私はその深い理由を女将さんから聞いた事がある。

 

確かに良くわかる一つの理由であった。

 

今でも四条大橋から北を眺めると、橋はいらなかったと私も思う、、、。

 

行動派の女将さんがとった一大決心だったのだろう。

 

その翌年に計画は撤回された。

ふらりふらりと先斗町を歩けばついつい寄ってしまうお店。

一人でふらっと行けるお店。

気軽に立ち寄り一杯。

夏になれば川床もある。

そして、ここの名物はやはり「鉄ピン揚げ」。

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鉄瓶の中に入った油で自分好みの串を揚げ、出来たてをホクホク熱々と頂く。

 

串を手に持ち揚げている時の指に伝わる感覚と油で揚げ上がっていく時のプツプツピンピンと聞こえてくる音。

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ゴクリ、、生唾を呑まずにはいられない・・

 

このスタイルを提案したのが、京都市交響楽団常任指揮者であった故・森正さんだと言われている。

 

そして名物の「鉄ピン揚げ」が誕生した。

 

実に美味い!

揚げたてで自分好みで程よいのです。

 

そして、忘れてはならないのはやっぱり おでん。

こちらのおでんの練り物は、京の台所と言われる錦市場で創業五十余年の「丸常」さん。

1964年当時からこちらの練り物を使っており丸常さんの一番旧い顧客さんでもある。

 

山とみに来たら先ずはおでん。

大根、じゃがいも、練り物、からスタートし、酒もぐいぐい進む。

このなんとも言えない花街での語らいも無くなってしまい本当に悲しい次第である。

 

 

豊かな笑い声が一つ消えてしまった。

いや、一つでは無い、そのお店にいるお客さん全ての笑い声が、、、。

そして更に一軒老舗が暖簾をおろした、、、

 

先斗町から歩いて3分、河原町通りにある、創業1936年の天ぷら「美久仁」。

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この天ぷら屋さんも事もあろうか「山とみ」さんと同じ日の1/31で暖簾をおろした。

 

のだが、、

 

こちらはまた少し事実が違う。

 

現在の場所での営業を終え、一旦一休みすると言う事だ、、

しかしながら、見慣れた風景と光景のあの店内で天ぷらを食べる事はもうできない。

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なんとも複雑な思いである、、、

 

最後に上天丼を頂き、目がしらをおさえる。

こちらの大将にも本当にお世話になっています。

 

京都が日本映画の原点であり立誠小学校跡地が映画の聖地であるとうたいつづけた大将。

白い割烹着姿で仕事の合間に毎日の様にお店にジュースか水(酒)を飲みにやって来る。

 

その割烹着姿も見れないのかと思うと非常に残念でならない、、

 

また近いうちに復活する事を願うばかりである。

 

 

ブランニュー世代にバトンタッチ。

 

次は私たちが背中を見せて行く番である。と、再認識させられる日々。

 

「どうだ」では無く「どうぞ」と言う気持ちで出される食事は本当に美味しい。

 

そう言うお店がどんどんこの町から減って行っている様に思う、、、

 

80年代から90年代に起こった派手なバブルと違い、

 

あの時代より大きなバブルが いびつな形で町を覆っている。

 

想定内の地域を飛び越し想定外の事が静かな足音と共に日々近づいて来ている。

 

まだか、まだか、と。

 

 

文化とは目には見えないものであり、それを見る力と想像力であり、金銭には変えられない物がきっと京都の真の文化だと感じております。

 

数十年後にこの同じ京都の風景や空気感を感じられるかと問われた時に、なんと答えたら良いのでしょうか、、、

 

変わりゆく町は、本来の ”京都らしさ” を失って行っている様に思う。

 

町の人はその局面の中で静かに生きている。

 

・・・・。

 

ただ、悲しい話しばかりでは無い事は確かである。

 

この続きはまたゆっくりと・・・

 

 

さて、ちょっとお腹が空いたので河原町六角の大正末期創業 日本一の鰻「京極 かねよ」で きんし丼 を、創業以来100年に渡り継ぎ足し続けてきた秘伝のタレに座布団の様な玉子がドカンと乗って迫力満点。

 

「美味い!」意外の何者でも無い!!

食後は河原町通り自家焙煎の喫茶店「インパルス」へ。

太秦で1966年に創業しその2年後に河原町に移転、長年に渡り地域に愛される店。

一人ホットコーヒーを飲んで家路へ・・・。

「女将さんは明日もコーヒー飲みに来てくれるかな。」と、ふと思う。

 


 

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Profile

  • 牧野 広志TRAVELING COFFEE 店主

    1966年生まれ。
    94年渡仏、90年代をパリ ルーアン リヨンで暮らす。
    2002年 帰国後、京都の新しい情報発信空間の提案者として文化と地域に密着中。


    -TRAVELING COFFEE -
    昭和2年築の木屋町 元・立誠小学校 職員室で営業していたTRAVELING COFFEE が耐震補強工事の為に高瀬川沿いに建てられた仮設の立誠図書館内で営業。
    図書館の選書はブックディレクター「BACH」幅允孝氏。
    珈琲はブレンド2種類に加え、シングルオリジンは京都府内の焙煎所を毎月選び焙煎家と話し合い常にオリジナルを4種類程オーダーメイド。