2019.03
特集 Old to the New, New to the Old 石巻

祈りと祝いを新たな形に。<FUNADE>

多くの人と、船を祝ってきた大漁旗が、アクセサリーやバッグに姿を変えた。姿は変わるけれど、旗に込められた祝いの気持ちは“柄と柄のつながり”によって新しく誰かと誰かをつなぎ、“祝いや縁起のおすそ分け”のように広がっていた。

3.13, 2019

  • art&culture
  • travel
Share on

「大漁旗」、そう聞いてピンとこなくても漁師さんたちの船に掲げられる彩り鮮やかな旗と聞けば見たことがある人は多いはず。船でなくとも魚料理がメインの居酒屋さんにもよく飾ってある、あの旗です。

<FUNADE〜結日丸〜>は本物の大漁旗を使って作ったハンドメイドのアクセサリーやバッグなどを扱うお店です。

さて、私はさっきから30分ほど正方形の形をした、カラフルなピアスの前で悩んでいる。

 

なぜならずらりと並べられたピアスたちは一つとして同じ色のものがなく、またその色味の組み合わせも様々でさっきから5個(これでも絞った)のピアスを代わる代わる手にとっては戻す、という作業をしていました。
そう、1枚の旗から切り出されて作られるピアスやバッグなので、つまりは同じ柄のものは一つとしてない一点物。

このお店を作ったのは、京都のOmusubiというブランドでデザインを手がけていた田中鉄太郎さん。

 

震災後、石巻にボランティアとして訪れていた田中さんはこのお店を作ると同時に移住を決意したそうです。

 

「震災後にボランティアで石巻に来ましたが、時間が経つにつれ必要とされるニーズがだんだんと変わって行くのを感じました。
最初は瓦礫を動かすことが必要だったけれど、その後避難所から仮設住宅へと移る時期になると個々のお手伝いだけでなく、その人たちが最終的にどうなるか、どうしたいかを考えることが大切になってくる。そしていつかは自立するタイミンングが必要だと感じ始めたんです。

 

じゃあ自分には何ができるか。自分が今までやってきたことは“ものづくり”。そのものづくりで何かできないかと考え始めました」

田中さんは思い立ってすぐ、“ものづくり”のための素材を探し始めます。

 

海岸沿いなどを探し始めたある日、崩壊した建物にダンボール5箱分の大漁旗を見つけました。

 

崩れた建物に埋まっていた大漁旗を救出し、ツテを頼って持ち主に返す。
その持ち主は田中さんのボランティア活動を覚えていたためそれはとても感謝されたそう。そしてその出会いをきっかけに「大漁旗」を使ってのものづくりを始める。

受け取った旗は、こうして1枚1枚写真に収め、大切にファイリングされていた。

「見たことはあるけれど、そもそも大漁旗って何?という感じでしたが、漁師さんたちから進水式で使う祝い旗ということを教えてもらいました。

 

ある日雄鹿半島を車で走っていると一人の漁師さんに出会ったんですが、大漁旗でものづくりをしたいと伝えるとすぐに仲間に連絡してくれたんです。『次の浜までいけば、みんなお昼を終えて浜に戻ってきてる頃だから行ってみなさい』と言われ、行ってみたらみんなダンボールを抱えて浜に降りてきてくれて。その日のうちに僕の目の前に沢山の大漁旗が集まりました。まさに大漁(笑)!これはもう形にする使命だなと思いました。

 

旗自体をクリーニングすることから始まって、洗濯してはキャンプサイトに干したり。最初に作ったのはブレスレットとキャップとトートバッグ。できたものは2012年のピースボートに載せたんです。石巻の震災を伝えるリーダーがピースボートで世界一周をするというもの。それが最初のお披露目でした。そこでの反応はよく、手応えを感じたのでボランティア団体から独立して本格的に始めました」

ちなみにFUNADEは外装も内装も、田中さんと仲間で自分たちで作り上げたそうです。そういえばこの店はとっても居心地が良い。所々に飾られた貝柄などの小物や、大漁旗でできたカラフルなのれん、そして天井の舵輪(船のハンドル)。どうしたって船の中の秘密基地のようでワクワクしてしまう。

「お店は、もともとマッサージ店だったところです。天井まで水が来たので、大家さんも直してまで貸したくないけれど、もし自分たちでなおすならどうぞ、と言っていただきました。そこからは素人だけど力を合わせて頑張りました! 合板ベニアに漆喰を塗ったり、欄間の色を変えたり。外装も普通の住宅の壁だったものに、板を貼ってみたり…」

天井のアール具合も見事だし、外観の木を組み合わせた壁や、天井には洒落た飾りまでしつらえてある。“手作業”の暖かさはあるけれど、素人感は全く感じられない。

「ここを一緒に作ってくれた(当時は素人だった)人は、今では大工と左官職人になったんですよ。ここがみんなの船出になった」と嬉しそうに語ってくれた。

「祝うことを、祝う」大漁旗

「震災で街に色がなくなってしまったけれど、大漁旗から力をもらった」

 

FUNADEの内職をしているお母さんから言われた言葉。

 

力強く明るい色彩の大漁旗は、グレーに染まっていた街を鮮やかに彩り、お母さんたちを、そして田中さんをも力づける。

 

最初はそんな石巻のお母さんたちがFUNADEの商品作りの内職をしていたそう。
震災後の介護や子育て、漁業などで不安が多かったお母さんたちだったけれど、いつしか時間が経って徐々に漁業に戻っていく人も増えた。そんなお母さんたちの船出もこのお店は見守っている。

人気商品のレザーを組み合わせたブレスレット

今も作品作りは石巻の人たちが行っています。だからか自分たちの街のシンボルでもある大漁旗を大切に、丁寧に扱う気持ちが商品のクオリティにも現れていました。

例えばカラフルな細い糸を何重にも巻き付けてあるアクセサリーがあるけれど、これは布を切った時に出るほつれ糸。そんな糸1本1本すらも大事にしているのです。

 

「最初にあった300枚の大漁旗もだんだん減って行って今は5、60枚くらいになってしまいましたが、最近では他の県からも大漁旗を譲ってもらっています。譲っていただいた代わりにその旗の一部を使ってバッグや洋服などを作ってお返しするととても喜んでもらえます。

 

ちなみにこの旗は船の大きさでサイズが変わるんですよ。贈り主は船の安全と豊漁を願って染め屋さんに頼みます。だから1枚1枚に思いやストーリーがある。絵や文字の周りに白枠があるものが多いんですが、これはノリがついていた部分。他の絵や文字に色がうつらないようにこうやって周りをノリで囲うんです。

 

石巻にも職人さんがいらっしゃいますが、大漁旗を描ける人は今はもう全国で10数人しかいないそうです。それぞれ特徴的なタッチがあるので、その絵柄に惹かれて遠方の人が頼みに来たりということもあるみたいです」

 

諸説あるけれど大漁旗は11世紀頃にはひな型ができ、江戸時代には豊漁を知らせる旗であったと文献にも記されているそう。それだけ長い間、危険と隣り合わせだった漁を祈ったり、豊漁の縁起担ぎが込められてきたものだった。

 

もちろん現代ではプリントでも似たようなものを作ることはできるけれど、誰かを祝う気持ちを一つ一つ染めていくものには決して叶わない。これだけ利便性が良いとされる時代であってもハンドメイドのものが人の心を掴むのは、やっぱりそこに込められた思いに価値を見出すから。

 

「これからのビジョンが明確にあるわけではないけど“大漁旗旗をいろんな人に届ける”のが使命なのかなと思っています。

  • 01

    01.FUNADEでは田中さんは店長ではなく「船長」。だから求人の内容もユニーク!

  • 02

    02.こちらも人気のカラビナ。ご覧のようにすべて色が違うのでこれまた悩んでしまう。

01.FUNADEでは田中さんは店長ではなく「船長」。だから求人の内容もユニーク! 02.こちらも人気のカラビナ。ご覧のようにすべて色が違うのでこれまた悩んでしまう。

FUNADEでは大漁旗と言う伝統文化が背景にある縁起物を、(アクセサリーなどの商品化で)日常に落とし込んでいますが、そのゲン担ぎをどう浸透させようかと考えています。

 

大漁旗は「お祝い事を、祝う」もの。その意味を掘り下げて、しっかりとした祝うラインを出していきたいんです。例えば子供の入学とか、いろんな“船出”のグッズをうみ出していきたい。大漁旗の見せ場を作っていきたいですね」

棚の上のスケートボードはFUNADEとアーバンリサーチとAlexander Lee Changとのトリプルコラボのもの。一つとして同じ柄のないスケートボードが生まれた。

FUNADEの商品は、リサイクルという観点と、オンリーワンのアート性はもちろんなのだけど、何よりも「自分の続きの柄を、誰かが持っている」ことも大きな意味を持っています。

 

今回(30分以上かけてようやく)買ったピアスも、この柄のその先を持っている人がいる。そのことはなんだか言葉にはしづらいけれど確かに心強く、嬉しいもの。大漁旗の縁起にあやかって、顔も知らないその人にいいことがありますように。ピアスをつけるたびに、そんな風に願ってしまうのでした。

Profile

  • 松尾 彩Columnist

    フリーランスのエディターとしてファッションからアウトドアまで幅広い雑誌・ムック・カタログなどで活動。現在はコラムニストとして主に旅紀行を執筆。小学館kufuraにて旅エッセイ「ドアを開けたら、旅が始まる」連載中

  • 熊谷 直子Photographer

    幼少期より写真を撮り始める。20歳で渡仏し、パリにて本格的に写真・芸術を学ぶ。2003年よりフリーランスフォトグラファーとして雑誌・広告などでポートレートや風景など多ジャンルにおいて活動し、個展での作品発表も精力的に行う。主な著書/二階堂ふみ写真集「月刊二階堂ふみ」、杉咲花1st写真集「ユートピア」、熊谷直子作品集「赤い河」

Information