2019.03
特集 Old to the New, New to the Old 石巻

石巻とスケートボード<CREAM ROLL>

スケボー好きの人の間で話題のインスタグラムがある。
髭を蓄えたおじいさんが様々なスケートボードのトリックに挑戦する動画。好きなものをずっと信じて続けてきた、その思いの源とは。

3.27, 2019

  • art&culture
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実は石巻はスケボーカルチャーが定着している街でもあります。漁師さんたち漁の後に楽しんだり、2018年には石巻スケートボード協会が発足して市内の子供達など若い世代も楽しんでいます。でも実は石巻のスケートボードヒストリーはもっと古くから始まっていました。

 

1985年頃にはすでに海が近い街ということでまずサーフィンが、そしてそれに付随してスケートボードカルチャーが石巻に定着し始めたそうです。当時すでにスケートボードチームもあったんだとか。

さて、インスタグラムvigour_professorで「今週のノーコンおじいさん」動画をアップし続けるその人の名は松川聖彦さん。(ちなみにノーコン=ノーコンプライとは1トリックで前足を一回抜き、地面につけたり跳ねたりして板をくるくる回す技だそうです)

石巻のスケボーカルチャーの走り世代でもある松川さんは、現在石巻市内でシルクスクリーンプリントのアトリエを構えていらっしゃいます。
アトリエにお邪魔すると大きなシルクスクリーンの機械と、たくさんのスケードボード。

 

ここでノーコン動画も撮影をしているとか!

写真に写っている、素敵な蛍光灯のバーも自ら作成したそう

松川さんは若い頃からスケボーやサーフィンに携わり、その流れでサーフショップの店長経験もあるそう。
「サーフィンしながら空いた時間でスケボーをやって、毎年足を骨折しながらね(笑)。その時、周りの子供たちも面白いからやりたがるし、教えたらうまくなる。ある時、みんなで”東京に殴り込みするぞ”とばかりにラジカル88という大会に出たこともあるんですが、結果は全然でした(笑)」

石巻で早くからスケボーが定着した理由を聞いてみたらこんな答えが。

 

「この辺りはいわゆるヤンキー文化だったからね(笑)。ちょうど1個上の先輩からスケボー文化がスタートしたんだけど、ヤンキーって上下関係厳しいでしょ? だからそれもあってあっという間に縦社会の中でスケボー文化が広がったんです。

 

河川敷に勝手にランプ(スケートボード用のジャンプ台)を作って、高校生だった後輩を呼び出して「青に塗っとけよ」なんてことをしたりも(笑)。
当時はネットなんてなかったから、半年、1年遅れのアメリカのスケボービデオを取り寄せてそれを見て一生懸命駅前のロータリーで練習したり。当時のストリートカルチャーってそんな感じだったんだよね。だんだん大会でも石巻の優勝者が出たりしてね。今も後輩ライダーが子供達を指導しているけど、きちんとカルテ作ってマンツーマンで教えてるから実績もあるし、親御さんたちも安心。一家に1台スケードボードがあるっていい環境だなあ(笑)」

上から2個目のスケートボードは、FUNADE×アレキサンダー・リー・チャン×アーバンリサーチのコラボ商品。

松川さんと縁があるスケートボーダーやスケボー関連の人は多いけれど、そのうちの一人がデザイナーのアレキサンダー・リー・チャン氏。

「リー君が16、7歳くらいだったかな。面倒見ていたというより僕は”面白いおっさん”みたいな関係だったけど。当時CREAM GRAPHICSと言うスケートボードのアパレルブランドを立ち上げて、一緒に東北中営業して回ったり。2003年頃にはみんな独立してそれぞれのブランドを立ち上げたけど、今でも彼とは東京で時々飲むよ。相変わらず我が強いよね(笑)。スケーターって目標達成するためにみんな我が強いし、譲らない。だけどそうやっていい意見の言い合いをしたり、それによって面白い回答もらったり、(年代も違うのに)いろんな話をして、それも今に繋がっている」

サーフィンショップの店長、その後シルクスクリーンプリントをやっていましたが、アパレルブランドを経てそして今は元のシルクスクリーンで様々なものにプリントする仕事を中心としている。サーフィンやスケボーといったカルチャーのど真ん中にいた人だからそのセンスに惹かれた人たちからの信頼も厚い。現在は一般受付はしてはいるものの…

 

「お店の前に看板あげてないし、スケボーの音響いてるから怖いのか(アトリエに直接は)こないよね(笑)。

ネットやインスタ経由で仕事することもあるけれど、やっぱりとても時間がかかる。
「赤色で」って言われてもそれは朱系なのか燕脂系なのか。お互いがしっかり会話しないと理想には近づかないからね。ものづくり理解している人だと修正もしやすいけど、余裕がない人だと”今日作って、明日作って”なんて言われちゃう(笑)」。その”時間のかかる”コミニュケーションを理解し、超えられた人とものづくりをする松川さん。Tシャツなどのほか、ウエットスーツを作るときに出る端材を利用して小物などへのプリントなども手がけています。中でも招き猫を描いたコインケースは石巻グッズとしても人気。

 

確かに入り口は真っ黒に塗られ、只者ではないおしゃれなオーラを感じるアトリエですが、実はこの場所は震災後に移ってきた場所なんだそうです。
以前は市内の門脇町に店とアトリエがありましが、被災し、そのすべてを失ってしまいます。

 

現在のアトリエがあるビルのオーナーは「ランプを青く塗っとけ」と呼び出されたスケートボードの後輩、鈴木孝宗さん。現在はステイブルーというオンラインショップをされている方です。

右奥がタカムネさん。「言われた場所に行ったらもう青いペンキが用意されていて、断る選択肢はなかったです(笑)」とのこと。古き良き(?)時代のお話です。

インタビュー後、松川さんや孝宗さんと一緒に近所の居酒屋さんで飲んだのですが、「青に塗っとけ」事件は今でも語り継がれているとか(笑)。

「震災の日、避難した山の上でタカムネにばったり会ったんだよね。しばらくして仕事どうしてるか聞かれたけど道具もなにもないからと言ったら、内装とかを自分でやるのならここを使えばいいといってくれた。そこから支援金を元手に最低限の内装はやってもらったり、機械も新古品を安く譲ってもらって、それ以外は全部自分で作ったんです。お店の前にランプも作って居心地のいい場所を作った」。

 

被災して改めて気づいたことも多いと松川さんは言います。
「携帯電話もなくて、手元にあるのは着てるものと財布だけ。探しようもないからみんなから死んだって言われてたくらいです。ありがたいことにボランティアの人たちにたくさん助けてもらったけれど、道具もないから自分はボランティアもできない。借金もないけど財産もない、住む家もない。でもいずれ何かできることが出てくるだろうから、その時にやればいい。無理はしない。”精一杯やれることが自分にできる事”。

 

そして何もないまま10日くらい酒を飲んでいるうちに”好きなこともう一回やろう。自分の範囲で”と思ったんです。
それに気づけてよかったと思っています。もちろんその時に肩を叩いて(応援して)くれた人には返そうと思ったし、そういう人と連絡を取り合っていたら仕事にも繋がったしね」

 

その後”できること”の一つとして、石巻の街中に「THE FUN COMMUNICATION」と言うミニランプを作り、文字通り楽しみながら滑ることのできる場所を作ったそうです(現在は終了)。

今までに手がけたステッカーなどを1枚にまとめたポスター。なんと全てハンドシルクスクリーンでコラージュして作成している。

そんな風に長い間石巻とスケートボードとともに過ごしている松川さんですが、今のビルのあるあたりも再開発の計画が進みつつある、と教えてくれました。

 

「昭和4,50年頃の写真がピンタレストなんかに出てくるんですが、昭和からだいぶ街の雰囲気は変わったんだよね。大きなモールができて小さい商店街が潰れちゃって。さらに震災でまた街の様子が変わって、そして今は近くに新しいビルが立ち始めています。ここも借りている場所だからもし再開発が決まったらもちろん出て行かないといけない。

 

だからその先のことを一生懸命…ごめんなさい。割と適当に考えていて(笑)まあ決まったら出ようかなと思っている」

話は冒頭に戻りますが、松川さんは今でも一週間に一つ、今までやったことのないトリックに挑戦し、それをアップすることを続けています。

 

「自分のやれることをやる。その一つが(自分にとっては)スケートボードだった。”ノーコンおじいちゃん”は世界で誰もやってなかったし、55歳でもやる気になればできる、面白いと思ったからやった。1年間やり続けてたら動画が世界へも拡散して行って、それによってフォローしてくれる人もいるし、嫌う人も出てきた。でもそれでもいいんです、自分が好きでやっていることだから、この先もずっとそう進むだろうし、それで縁があって話したりあったりする機会があればいい。自分はそこで得たセンスやスタイルを仕事に生かして行きたい」。

 

後日アレキサンダー・リー・チャン氏に聞いてみたところ「昔から、世界的にもこんなにスケボーのうまいおじさんはあんまりいないんじゃないかな? と思っていたけどインスタを見てると今もどんどんうまくなってます(笑)。「おじさんだからもうできない」なんて絶対言わないし、若者と同じ感覚で新しいものをいいな、と思ったらすぐに取り入れて努力して成功させたいっていうパワーはすごいなあって思う。感覚のアンテナもすごく高い人」と言う松川さん像を教えていただきました。

 

もしも再開発の中に入ってしまい、今後違う場所でのスタートになったとしてもきっと永遠にスケートボードに挑戦し続けるだろうし、そうであればそれがどこであっても”松川さんがいる場所”がそのまま”やるべきことをできる場所”になるんだろう、なんてことを感じました。

松川さん夫妻やフィッシャーマン・ジャパンチーム、ステイブルーの方々、URBAN TUBEスタッフとで記念撮影。また石巻の”今”を見に遊びに行きたいと思います!

今回見た石巻では、新しいカルチャーを生み出す人もいれば、人と人をつなぐ場所を提供する人もいる。そして松川さんは「信じたことを、変わらずに、続けること」でまた石巻のカルチャーをつなぐ人です。

 

松川さんはやろうと思ったことは形にしてきた人。だから様々な復興関連の中でも「やろうぜ」だけの人たちとは考えが合わない、ときっぱりと言う。
「やろうぜ、だけじゃ維持できない。署名より自分たちでお金を出す。市がやらないのなら自分たちが作ればいい。そして誰に対してもそういう風に(対等に)言いたいから(何かの団体に所属せず)ずっと一人でいる。
仕事も100人の友達じゃなくて、例えばただ5人の人でもいい。自分の信じた人といい仕事をしていきたい。そうなればお金じゃなくて面白いことができるよね」

 

もちろん復興にかかわらず、街の成り立ちというのは様々な思いがあって、それぞれの手法がある方が結果ユニークなまちづくりにつながります。

 

8年後の石巻はそうやって本当にいろんな面白いことを考える人がたくさんいて”今”を形成しつつありました。再開発もあってこの後の街の風景がどうなってしまうかはまだわからないけれど、時には酒を酌み交わす人がいて、時には相反する考えに人もいて、でもみんなそれぞれ好きなものを大事にして、石巻のことをそれぞれに大好きで。

 

結局それが全部石巻の今の個性を、これからの伝統を作っていくかと思うととても面白くて、この先がどうなるんだろう。それを確かめにまた足を運ぼう、そう思った石巻の回でした。

Profile

  • 松尾 彩Columnist

    フリーランスのエディターとしてファッションからアウトドアまで幅広い雑誌・ムック・カタログなどで活動。現在はコラムニストとして主に旅紀行を執筆。小学館kufuraにて旅エッセイ「ドアを開けたら、旅が始まる」連載中

  • 熊谷 直子Photographer

    幼少期より写真を撮り始める。20歳で渡仏し、パリにて本格的に写真・芸術を学ぶ。2003年よりフリーランスフォトグラファーとして雑誌・広告などでポートレートや風景など多ジャンルにおいて活動し、個展での作品発表も精力的に行う。主な著書/二階堂ふみ写真集「月刊二階堂ふみ」、杉咲花1st写真集「ユートピア」、熊谷直子作品集「赤い河」

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