2019.04
特集 雲のまにまに神を見る 出雲

あなたとわたしと神様と

あれもそれも神様。あちらにもこちらにも神様。トイレにだって神様。日本には古来からユニークで個性がある神様がたくさんいます。神話の国を訪ねてみたら、そんな神様たちに向き合いたくなった。

4.10, 2019

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不思議なことに日本では、宗教を信じる信じないに関わらず“神様”が非常に身近で日常的でもある存在だ。

 

例えば

 

<旧暦10月は“神無月”と呼ぶけれど、出雲だけは“神在月”になります。

 

なぜなら日本のすべての神様が、この月は出雲に大集合するから>

 

おそらく小学校時代の国語か日本史で習うことだけど、当時も今もごく自然に旧暦10月になれば「ああ、今は神無月だから出雲に神様はいるのね」となんの疑いもなく受け入れている自分がいる。

 

さて、日本人の宗教観は海外の人の間でちょっと特殊だと言われている。
「日本人は生まれた時は神道で、結婚する時はキリスト教、そして死ぬ時は仏教」と表現されることも。

 

これはお宮参りには神社にゆき、結婚は教会で行う。そして死んだ時には戒名をいただく、そんな多くの日本人の姿を表見てのこと。

 

私たちの多くはそんなテンプレ祭事などを行うけれど、そこに「宗教」はほとんど意識していない。神在月のように、「子どもが生まれたから神様に会いに行って、結婚式だからキリストさまにお祝いしてもらって、さてお墓はどこの寺で拝んでもらおう」なんてごく自然にその場その場で「おめでたいこと、ありがたいこと」を受け入れている。なぜと聞かれても「おめでたいことだし、ありがたいことだから」的な返事が返ってくるばかり。

 

こんな風に日本で意識せずに神様に関わることは、日常的と言っていいほど多い。

 

ちなみに時と場合によるけれど、多くの日本人がなんとなく“神様”と言うときは「日本書紀・古事記」に出てくる神様の場合が多い。ご存知の通り八百万、たくさんの神様がいるので時には後利益だけでなく道徳を正すためにその名が使われることもある。

 

■「そんなことをしたらバチが当たるよ」
「神様はいつだってみているからね」

 

子どもの頃、親や祖父母、近所の人などからそんな言葉を投げかけられた人は多いと思う。

 

「不思議」なことがどんどん解明されつつある現代。
インターネットでたいていのことは調べられるし、かつて“超現象”と呼ばれていたことが科学の発達で色々説明がつくようになった現代でも、なんとなく悪いこと考えてしまった場面でその言葉を思い出す人は多いと思う。

 

私も子供の頃どうしても欲しかった消しゴムを「このまま持って帰っちゃおうか」そう思った時に、誰もいないはずの背後から視線を感じで、ああこれはやっちゃいけないことだ。神様が見ていると思ってそっと売り場に戻したことがある。

 

これは“神様”が道徳やルールにまで影響している例だ。
少なくとも幼き頃の私のように、「ちょっと悪いこと考えちゃう」人にとっては
ある程度は「神様が見ている」は効果はバツグンで、少なくとも多少の犯罪率低下に貢献をしているように思う。

 

■「どれにしようかな。天の神様の言う通り」

 

余談だけれどこの続きの言葉は地方によって違う。
小学生時代兵庫県で過ごした私の記憶にあるのは「あっぷっぷのあっぷっぷ。柿の種」、栃木出身のスタッフは「あべべのべのべの柿の種」だった。

 

まあそれは置いておいても、これは子供ながらに「何かを決める時に文句のない方法として“神様に”決めてもらう」というものだ。もしくは決めかねる時の最後の一手でもある。

 

子どもの時にはなんの疑問も持たずにやっていたし、大人になった今も、こっそり心の中で唱える時もある。

 

神様もよもや「どっちのお菓子を食べるか」や「この服、赤と青どっちがいい?」なんてことを聞かれるとは思っていないかもしれないけれど、そんな身近なことすらもついつい神様に聞いちゃったりするのだ。

 

夏目くんにもそんな神様にまつわる遊びがあったか聞いてみた
「大事なものを失くした時に、神様への手紙をノートに書いて、誰にも見つけられないところにしまうとそのあと出てくる、って言うおまじないがありました。一度やって見たら本当に出てきて、すげー!!って思いました(笑)」

 

■最近の若者は「神ってる」という言葉をよく使う。

 

流行語の一つではあるし、もちろん彼らの多くは“宗教”は信じていないけれど、その使い方をよく見れば“人知を超えた力(能力)”、“運命としか言いようのないタイミング”“想像を超えたもの”などに対して感覚的に使われている。“神がかっている”よりももっとプリミティブに“すごい”と言うことを伝えたいイメージだろうか。

 

神様の存在ををまるで近所のすごい人のようにしてしまうなんてと思うけれど、それもまた日本的。
ただ個人的にこの感覚は「神様を(生きている人間の)道徳やルールに利用しない」と言うのがとても新しいと思う。

 

この辺りの感覚は夏目くんの話を聞くとなるほどと理解できる。

時々、人間の本質をつくようなことをさりげなくぽそりという夏目くん。思わずほぉ、と唸ってしまうこともしばしばあった。そしてそんなことを言いながら干したイカに同化していたのがお茶目。

「人間がわけがわからないすげえものに出会った時に、それにつけた名前のことを神様って言うんだろうなと思っています。人間がラベリングしているわけだから言葉や物語で表すとすごく人間くさいけど、近くに感じるとなんかもっとすごい。パワー、エネルギーそのもののことを神様って言うんだろうな。

 

そこらへんにいるし、でも宇宙的パワーがあるもの。
僕の道徳には影響しないし、ヒーローでもないけれど一番身近で一番すごい奴ら、みたいな感じです」

私は心の弱い人間なので、それこそ「神様」の力でも借りないと道徳心すらも危ういけれど、素直に神様すげえなー、そんな神様みたいなことができてすげーなぁと感じることのできる若者たちの方がむしろ日本古来の神様との向き合い方に近い気もしてきた。

 

上記の「バチが当たる」に関しても夏目くんはこんな話をしてくれた。
「母に“いろんな神社のお守りを持つのはダメよ、神様が喧嘩するから”って言われて、そんなことで俺にバチを当てる気がしれん!と思ってからはあんまり神様が見ているとかバチが当たるとかは信じなくなりました(笑)。

 

“悪いことしようとするときは神さまが見てるよ”と言うのもその考えは俺には必要ないなって。因果応報の道具みたいに神様を使うのは違うなー。俺には意味ないなーって。もちろん、かといって神聖な場所でふざけたりするようなことはそれこそバチが当たりそうだからしません」

 

それを聞いて、心の弱さに神様をある意味利用していた自分に気づいてちょっと赤面したけれど、そんな風に色々な角度で「神様」を語れるってこともやっぱり面白いと改めて思う。

 

宗教としての神に関してはagnostic(不可知論者)。いるともいないとも言えないと言う立場である。けれど夏目くんの話を聞いて素直に自分の心に向き合ってみたら、子供の頃から慣れ親しんだ「神様」たちは積極的に“いてほしい”な、と思うことに気づく。

 

日本の神様はその多くが木や火や海などの自然を守っている、または化身とされている。
自然とはこの世界の現実に存在するものだ。
そして自然を大切にすることは実在する私たちに必要不可欠だ。
ならば自然=神様を大切にしよう。

 

 

なんとなくそんなことを考えた。

とまあ、神話の国へ足を踏み入れて以来、柄にもなくそんな風に色々と考えてしまったけれど、早朝ふと目が覚めてホテルの窓から見たこの神々しい景色を見て

 

「お、なんか神ってる」と写メってしまった私はやっぱりただの典型的な日本人だった。

 

 

 

さて、最後に「日本古来の神様」についてもう少し触れてみる。

ユニークな神話の神様

天と地しかなかった時代に神々が現れる。

 

神々の中で、イザナギ・イザナミという2柱が出会い結婚する。
二人は日本列島や様々な神様を産んだ。
イザナミは火の神様を産んだ際になくなり、黄泉の国へ。
イザナミを追って黄泉の国へ行ったイザナギが穢れを祓うために川で禊をした際にアマテラス・スサノオ・ツクヨミが生まれた。

 

と超絶ざっくりに「日本神話」(古事記)をまとめてみた。

 

(古事記)としたのは、2大日本古代史である日本書紀と古事記とでは内容が少々異なるから(この辺りの話は次回に)。

 

さて、話は変わるけれど日本人は”キャラ物”が好きである。何でもかんでもキャラクター設定をしてしまう生き物だ。以前知人が「日本のキャラ好きの走りは古代神話にあるに違いない」と言っていた。

 

日本では様々なものが神様になる。

 

人間だけでなく自然、もの、動物。それぞれに性格があり、その性格が元で良いことも悪いことも引き起こされる。失敗だってするし、二股をかけちゃったりする神もいる。

 

日本書紀や古事記は“物語”としてもとても魅力的で、漫画やゲームの題材になることも多い。

 

アマテラスやツクヨミ(パズドラでツクヨミを引いたときは嬉しかったです)、スサノオあたりは大抵「最強の神様」扱いされるし、出雲国を作ったとされる大国主命や、クシナダヒメあたりもゲームでは鉄板で出てくるので聞き覚えがある人は多いかと思う。たいていのゲームでは神話を元にしたユニークスキルがゲーム内での技として使われたり、キャラ設定として使われていて、知らず識らずのうちに日本神話に馴染んでしまう場合も。

 

夏目くんはスサノオが一番好きだと言う。
「お母さんに会いたくて暴れたり、お姉ちゃんに八つ当たりしたり、自分の娘に惚れた大国主命に意地悪したり、とても人間らしいところがかっこいい」

 

おそらく、神話の神様がついつい道徳やルールに使われてしまうのも、この個々の神様のキャラクターが際立っているのも理由の一つだと思う。

 

神様だって失敗して反省することもある。悪いことした神様には罰が下っている。
自然や民などを大切にした神には恵み(ごほうび)がもらえる。などなど。
そんな神々のお話が、子供達への教訓や教えと同化して今に至るまで長く伝えられて来たのだろう。

 

ただし今の子供たちは「神様は見ているよ」と言われたら親しんだゲームのキャラクターを思い浮かてしまいそうだから、なるべく強くて怖い神様のゲームキャラクターは必要なのかもしれない。なんてことも思った。

夏目くん旅日記DAY1でも触れていたけれど「ヤマタノオロチ」伝説は斐伊川の氾濫を表したものだと言われている。まるで多数の首を持つ大蛇のようにうねり、咆哮を上げる濁流のその姿に人々は畏怖し、「神」と言う大きな力にすがりたいほどの大きな感情を持ったのだろうか。

 

今の世の中で、例えば不思議なことに出くわしてもそこに「神さまの姿」を心から想像し、新しくその姿を創造することは難しい。だからこそ当時の人々の感受性豊かな表現力、想像力、それを紡ぐ力をとても羨ましくもある。

 

人知を超えた力、素晴らしい自然、(作物など)大いなる恵み。
それを素直に感じ取り、表現した古代人。

 

ここまで書いて、それって言うなれば若者が「神ってる」と口に出す、その素直な気持ちに近しい事では、と思い始めた。

気になって猫の神様がいるか調べてみたら全国でも何箇所か、蚕をネズミから守る「守り神」として祀られていた。また夜行性というところから「夜の守り神」なんてかっこいいお役目がある猫も。

いる、いない。信じる、信じない。そんなことも超えて、
なんだかすごいぞ、神ってるぞ。

 

古代人のようにそんな気持ちで神様と向き合って見たくなった。

Profile

  • 松尾 彩Columnist

    フリーランスのエディターとしてファッションからアウトドアまで幅広い雑誌・ムック・カタログなどで活動。現在はコラムニストとして主に旅紀行を執筆。小学館kufuraにて旅エッセイ「ドアを開けたら、旅が始まる」連載中