2019.04
特集 雲のまにまに神を見る 出雲

いずもの空、でぐもの虹

「出雲。いずも、でぐも。たくさんの雲に覆われていつも空が低いのに、それでもその曇り空が一番好き」。出雲の人からそう教えてもらって見上げた曇り空は、うん、確かに素敵だった。

4.19, 2019

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“神様”の集まる国として語られることの多い出雲だけど、実は歴史や文化もとても面白い場所だ。

■古事記・日本書紀・出雲風土記

 

例えば誰もが日本史で通る道、<日本書紀・古事記>には、多数の出雲の神々が生き生きと描かれていて、日本という国の成り立ちのお話としても、神々の物語としても魅力的な書物である。

 

あんまり歴史の授業を聞いていなかった人(はい、わたしです)はなぜ似たような書物が2冊あるのか未だに謎に思っているのではないだろうか。

 

ちなみにどちらも大筋は<日本の成り立ち>を描いたものだけど、古事記はそれを国内向けに、日本書紀は海外向けに描いている。おそらくそれぞれに都合がいいようにアレンジ的(政治的なものもあるかも)なものが加えられた結果内容は少々異なるものが出来上がったと言われている。

 

特に大きく違うのは「国譲り」について。

 

国譲りとは、高天原の<天津神>と出雲中心の大きな国『葦原中つ国』を作ったとされる<国津神>との間で、その大きな国を今後どちらが支配するかを決めたものだ。

 

 

天津神の代表は天照大神、国津神の代表は大国主命(他にもいろんな神様が関わるけれどここではざっくりと)。

 

古事記ではどちらかというと天津国側が武力で脅して奪い
日本書紀では条件をつけて国を譲ってもらったとされる。

 

何しろ文字がまだなかった時代から語り継がれてきたものなので今となってはどちらが正しいかは知る由も無いけれど、きっとそのあらすじの違いが、当時の権力者のごにょごにょとしたご都合とやらだったのだろう。

ただ両史とも<その(国譲りの)代価として>出雲の神々を祀る場所を作ると約束している。

 

そしてここ出雲にはもう一つ「出雲風土記」と言うものがある。
日本書紀や古事記のもう少し後に、各地の歴史をまとめた「風土記」というものが作られた時代があった。今でいう「県の歴史」的なやつ。

 

この出雲風土記では二大古代史とはまた違い、大国主命は出雲を納めていた英雄であり、天津神側からの交渉に、<葦原中つ国は譲るけれど出雲だけは変わらず大国主命が治める>とある。つまり出雲自体は<譲らない>のだ。

 

この辺り、大きな国の政治的な思惑には巻き込まれまいとする地元の民の強い思いを感じてなかなか興味深い。

だからもしもちょっと昔々の日本の物語に興味が出たら、この3冊を同時に読むとより面白い(今は読みやすい現代語訳もたくさん出ているし)。

 

ただ、いずれにせよ古代史に描かれている「出雲大国」は今まではどちらかと言うとおとぎ話だと思われていた。

 

■出雲国、本当にあった!

 

出雲がかつて大きな国だった。
それが裏付けされたのは実は結構近年のお話。

 

それまでは出雲風土記含めあくまでも神話の中の話的な扱いを受けていたのだけど、様々な遺跡から当時の国の繁栄を証明する大量の銅製品や装飾品が出土し、実際にかなりの大きな国があったことが証明されたそう。

 

当時はまだなかったとされるタタラ場もあり、また地中海でしか取れないビーズも発掘され、つまりはシルクロードを経由して中国などと交易があったということ。

 

ロマンのスケールもまたでかい!

 

夏目くんと共に古墳時代より前とされる四隅突出型墳丘墓を見に行ったけれど、こんもりとした丘のような形をしていて、近代まで発見されなかったのも納得。でもでもこの中には歴史的にもお宝、と言える様々なものが出土し、古代日本の謎がかなり解明された。

ちなみにここにはいくつかの墳丘墓があるが、一番上の方にある墳丘墓の上にたつと遠くに出雲の山々にけぶる雲という神々しい景色が見える。きっとこの風景は当時とそこまで変わらないのではないか。そんなことを考えるとワクワクした。

 

出雲は当時から肥沃な大地で食料は豊富。海外からの文化の流入もある。

だからこそまた混沌としていた古代の日本の中で、大きな国として栄えたとか。

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    01.昔の出雲地形が描かれた地図

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    02.当時の祭事をジオラマで再現。

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    03.壺と夏目くん。

01.昔の出雲地形が描かれた地図 02.当時の祭事をジオラマで再現。 03.壺と夏目くん。

近くの出雲弥生の森博物館では当時の祭事や生活などがジオラマで再現されていたりしてかなり面白かったので、<古代ロマン>好きはぜひ立ち寄ってもらいたい。

■出雲の民芸

その出雲弥生の森博物館では発掘された土器なども見ることができる。

 

出雲や吉備(岡山県)からきたという器はなんとも素朴で、でも存在感もしっかりあって、今この時代でも使い勝手が良さそうなものもたくさん。

出雲といえば出西窯など人気の民芸の焼き物があるけれど、古代の器もまた使い勝手や飽きのこないデザインが多く、ある意味民芸のルーツのようでなかなか興味深かった。

 

民藝といえば、器を見に行った出雲民藝館で見た、
この地方の人が嫁(婿)入りする時や出産祝いに持たせると言う筒描染めの布が素晴らしかった。出雲は綿の栽培も盛んだったんだそう。

お金持ちのおうちではつるや松などの縁起の良いものが描かれ、庶民はもう少し地味なもの。でもどんなに地味でも家を離れる子供のためにこしらえた愛情がこもっているものばかり。

今回の旅の最中に出会った地元人からは、「痴呆が入ってしまったおばあさんが、お嫁に来た時の風呂敷を持って生家の方に帰ろうとすることがよくある」と教えていただいた。

幸せを願い託されたこの1枚の布に込められた思いがその一言でとてもよく理解できた気がする。

■出雲蕎麦

夏目くんが「何もつけなくてもうまい!!!」と力説した出雲蕎麦の釜揚げ。

確かにつゆで味をつけなくても蕎麦の香りとほんのりとした塩味がしみじみと美味しい。水で晒さないぶんややしっとりとした麺は喉越しも優しくてするりするりと腹に入る。

 

ちなみに蕎麦には植物性のタンパク質やビタミン、ルチンなど体に良い成分が多く含まれている。

出雲は美肌県とも言われているのだけれど、雲が多くてあまり日が差さないことのほかにこういう美味しくて体に良いものの影響もあるんじゃないだろうか。

 

“神ってた”出雲

今回の旅に際して、実は密かに期待していたことがあった。

 

出雲に行った人の話を聞くと、若者言葉を借りるなら「神ってる」ことに多々出会うという。
だからついつい「今回の旅でも何かドラマチックなことが起こるのでは」なんて気持ちで取材に臨んでいたのだ。

 

ある意味不純な気持ちで出雲の地に足を踏み入れたのだけど、
残念ながら漫画やアニメに出てくるようなドラマチックなことは何も起こらなかった。でも今思い返せば不思議なことや運命のようなことには巡り合ったような気がする。

 

例えば夏目くんたちから1日遅れて合流した日。
その日の出雲は雨予報で、確かに午前中は降っていたそうだ。
だけど飛行機がついたと当時に雲は晴れ、大きな虹がかかった。

 

出雲では雨は幸運の印。そして神様は虹に乗ってやってくるという。
まさか私たちを迎えるためだけに神様がきて下さったわけではないだろうけど、「出雲に行ったら何かすごいことが起きるかも」と期待に胸を膨らませていた私たちには、思わず<雨と虹に祝福されたのでは>、と思ってしまっても仕方ない。

 

そしてその日の夜、地元のおでん屋さんに入った。
私たちの後から入って着た二人の地元客からは出雲の話や、地元民にとっての“出雲”についてお話を聞くことができた。

 

こう行った旅をしながらの仕事でもっとも願うのは、こう行った「地元の人の生の声」である。あらかじめ申し込んだ取材とは違い、その日、その時の会話で面白いことが聞けるからだ。これもまた幸運過ぎる出会い。

 

面白い話をたくさん聞けた。

・神様は時として風になる。神迎の日(神在月に全国の神様たちを迎え入れる祭事)は、必ず晴れる。
・出雲では雨は神様からの歓迎の印。
・出雲人々はあまり感情を表に出さず、勝負事に慎重。
・また人を立てるような言葉遣いをする

 

そんな風に出雲の人ならではのお話を聞けたのだけど、もっとも印象に残っていたのはとても自然に自らを「出雲人」と呼んでいたことだ。

「地域に全て神様が根付いている。悪いことはできないよね。出雲人は出雲(でぐも)、曇り空が好きなの。他の土地に行ってどんなに晴れた空を見ても、天が低くて薄曇りの“でぐも”空の方が好きなのよ」

ヒト(生物としての人間)がヒューマン(社会性)へと変わる時代から神様がいた出雲。だからこの街の中には当たり前のように自然と神様たちが根付き、息づいている。
それはもうすぐ新しい年号になる現代でも受け継がれていて、「神の在る国」としての何か不思議な雰囲気を感じることができた。

 

前回も書いたようにきっと宗教としての神様との向き合い方は自分の中ではまだよくわからない。けれど出雲の民の言葉のように、空に、雨に、風に、虹に、ただただありのままの気持ちで「神様」と言う存在を感じ、それを自分たちの生活や性格に生かすということは素敵だことだなあと思うのだった。

 

 

追記:本当に個人的なことで申し訳ないけれどこの原稿を書いている最中に約20年連れ添った猫が天国へと旅だった。動物は虹を渡って天の国へ行くと言われている。そして思い出したのは出雲で見たあの大きな虹だった。

 

旅立ったその日は、前日の雲ひとつない快晴が嘘のように大きな雲で空が覆われていた“出(で)雲”な1日。悲しみの中ふと空を見上げてその雲に気づいた後、ごく自然にああ神様が迎えに来てくれた。そんな風に思ったのでした。

Profile

  • 松尾 彩Columnist

    フリーランスのエディターとしてファッションからアウトドアまで幅広い雑誌・ムック・カタログなどで活動。現在はコラムニストとして主に旅紀行を執筆。小学館kufuraにて旅エッセイ「ドアを開けたら、旅が始まる」連載中