2018.10
特集 だれも知らない京都

昨日と、京都、明日と<崇仁地区/東九条>

ここには多くの人が思う「華やかな京都」は、ない。長い間「誰も知らない、知ろうとしない」場所だったところは、それでも時代とともに大きく変化しようとしている。まさに今、この瞬間だけ見ることのできる「昨日と明日をつなぐ今日の、京都」へ。

10.10, 2018

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新しい時代を静かに待つ<崇仁地区>へ

京都駅から歩いてたったの数分。

 

だけどここには<京都といえば>とガイドブックを賑わしている高級そうな老舗和菓子屋も、おしゃれな今風の町屋カフェもありません。

 

 

この日はあいにくの曇り空でした。

 

それでもさすが夏の京都、待ち合わせ場所で京都の案内人を待つ間ただ数分立ってるだけで汗がぶわっと吹き出すほどの暑さにため息交じりで空を見上げます。

 

見上げた視界には
雨が降りそうで降らない湿気だけを蓄えた分厚い雲と、

時々申し訳程度に覗く青空、

 

そして古びた団地。

自分の知る「京都」とは違うその光景に戸惑っていると、自転車で通り過ぎた近所の人らしき人から声をかけられました。

 

「ここはもうすぐ取り壊しやからね。まあよう見とき。(写真)撮っときや」

改めて周囲を見回してみてもあるのはその古びた大きな団地と、お地蔵さんの抜かれた古い祠、時々これまた看板の古くなった飲食店がポツリ。人通りは少なく、時が止まったかのような印象でした。

 

この場所は<崇仁地区>と呼ばれるところです。

「ここは数年後(2023年ごろ)には京都市立芸術大学が移転してくる予定なんですよ。少しずつあちこちで取り壊が始まっています。高齢化で人口が減少したり、ここに住んでいた団地の住民も別の新しい建物に移ったりして住んでいる人も少なくなっていますね」

 

そう言うのは今回<京都案内>をお願いしたTRAVELING COFFEE店主の牧野さん。(コーヒーについては後日記述予定)

 

 

“京都駅からすぐ”

 

昨今の世界中を巻き込んでいる京都ブームを鑑みるまでもなく、その響きだけを聞けば<一等地>であることは間違いありません。だけれど実際の<今現在>は古びた団地や崩れそうな1軒屋がただ立ち並んでいるだけ。

 

ここや、ここの南にある地区(東九条)の歴史はなかなか表立って語られることは少ないそうです。

 

なぜならその昔からこの辺りに住む人々は、多くは在日コリアンや特殊な職業など、区別/差別的な扱いを受けていた人たちが多く住んでいたエリアだったから。いつしか独自のコミュニティを形成し、結果長い間アンタッチャブルな地域として扱われていました。

 

現代の若い世代、それも東京や横浜などの大都市の若者はそんな歴史があることすら知らないかもしれないですね。

 

小学校時代の間だけ同じ関西の兵庫県で過ごした私には少しだけ縁のあるお話です。

 

この国には(この国だけではないけれど)職業や人種に対してカーストのような差別が確かにあって、少なくともほんの30年ほど前には確実に「〇〇から向こうへ(の土地)はあまり行くな」という謎の言葉を地元の大人たちから言われる場所が当時の兵庫にもあちこちにありました。

 

まあ実際のところ時代はすでに昭和後期ですし、子供同士は「そんなことは知らんがな」とばかりに「〇〇から向こう」の子達と毎日のように遊んでいたし、大人たちも口で言うばっかりでその頃にはもう大した効力もなかったのだけど。

 

それに通っていた小学校ではそう言った差別の歴史にどう向き合っていくか、そんな授業もありました。

 

その後引っ越してしまったので今がどうなっているかは知らないけれど、何のわだかまりもなく遊んでいた私たちに大人たちから無理やり見えない楔を打ち込まれたようで、なんとも言えない気分になったことは憶えています。

 

だから「そういった」場所があったことすら知らない先述の若者を無知と責める人もいますが、むしろ新しい気持ちでどんな人々とも遠慮なく向き合う世代が増えることもまた大切だなあ、と少しだけその時代を知っているものとしてはそう思うのです。

 

 

さて、ここ最近、そういう「まっさらな気持ち」でこの地区に遊びに来る人たちが増えました。その理由の一つは、地元のグルメをぐっと凝縮したような屋台村<崇仁新町>ができたこと。

 

そこがどんな歴史があって、どんな土地でも人々が集まる限りは喜怒哀楽や旨いものを旨いという気持ちは平等で、誰にも取り上げられない権利です。

 

ここだけではありません。例えば雨があまり降らない不毛の大地であっても、人々は工夫し、できる限りの手持ちで美味しいものを作る。そうやって生まれたものは、差別をしていた側も徐々に取り込んで、「おいしいもの」ごしに会話や交流も生まれるのもまた人間が作る歴史の一部。屋台村を中心に、そういう新しいコミュニケーションが生まれ、新しい歴史の風となるかもしれない。そんな期待とともに注目されています。

 

 

さて、ここら辺りには「粉もん」の美味なる店が多いと牧野さんが教えてくれました。

 

「下町グルメはたくさんありますよ。ちょぼ焼きやべた焼き(お好み焼き)、焼きそばにフライ。どれも安価なソウルフードなんですが、再開発とともにそういった名店が次々となくなるのが寂しい」

 

この辺りは牧野氏のコラム(下町。Vol2)に詳しいので是非ご一読を。

 

 

牧野さんの案内で、崇仁地区をぶらりと歩いてみました。

 

団地の奥は一般住宅街が広がっています。

牧野さんのコラムにも登場した、お好み焼き「あいこちゃん」でかき氷を。

散策中、時々牧野さんのコラムに出てくるお店が目の前に現れて、そこのお店がどんなにか美味しいかを直に聞くと、確かになくなってしまうのは寂しいところ。

時間が早かったのでオープンしているお店は少なかったものの、お昼から空いているお店には地元の人が賑やかに食事を楽しんでいました。

途中にレトロな外観が目をひく<柳原銀行>と書いてある建物がありました。

かつては既存の銀行を使うことができず、地域住民のために独自に作った銀行だそう。今はその差別の歴史を知ることのできる資料館になっています。

さらに道を進むと、金網に囲まれたエリアが出て来ます。

ここはすでに立ち退きが完了した場所だそう。かつてあったここでの営みを静かに冷たく金網や有刺鉄線が囲い込んでいました。

近くには高瀬川が流れ、少し遠くには京都タワーが見える。それだけ聞くと皆が知っている<京都>ですが、この「金網」越しに見る風景は多くの人がみた、想像した京都とはまるで違います。もちろん大学が移転して来る2023年ごろには一変してしまう風景ですが、今は静かに“その時”を待っている、そんな雰囲気を感じました。

映画「パッチギ!」の舞台となった<東九条>

そのまま歩いていくと大きな橋があり、この先の八条通を抜けた先が「東九条」というエリアになるそうです。

 

「この辺りに住んでいたこともあったんですよ。地上げで今は無くなってしまったアパートと、そのあとにキムチ工場の2階に住んでいたこともありました」

 

東九条は主に在日コリアンが集まる居住区だったそうです。だから焼肉屋やキムチなどの名店も多いそうで、幾つか「ここ美味しいんです」という店の前を通り過ぎました(通り過ぎずに食べたかったです)。

「パッチギ!」でギターを壊すシーンを撮影した橋

東九条の街中は、パッと見る限りはよくある地方都市のように道幅は広く、すっきりとしていてあまり高い建物もないので何も知らない若者や外国人には好条件な立地に見えます。

実際京都駅そばということで少し前から「外の」人が東九条に住み始めたり、それこそ観光客がふらりと歩くような雰囲気にもなっているそうです。

それでも突然あわられるバラック小屋(人の気配があるようで、ないようで)や、無人なのかゴミ袋が積み上げられた家などがポツリと現れドキリとします。

また東九条の東側は鴨川が流れていますが、“鴨川”と聞いて思い出すようなカップルが鈴なりになっているような光景ではなく、いわゆる普通の河川といった雰囲気。どちらかというと殺風景なほど整いすぎているような感じがしました。

 

「以前は鴨川沿いにはずらっと不法占拠のバラック小屋が並んでいたんです、だからここらあたりは“0番地”と呼ばれていました」。

もともと闇市から発展したエリアだったのでインフラも整備されず、長くスラム状態だったそうです。それを整備したことで、今は整いすぎてるほど綺麗な光景に感じたのかもしれません。

 

 

 

さて常々牧野氏のコラムを愛読していたものとしてはどうしても行きたかった店があります。

 

お好み焼き<本多>!

ご存知お好み焼きには大きく2種類ありますが(大阪風と広島風)、京都はそば入りのべた焼き(広島風)が主流だそうです。

 

大阪的な混ぜて焼くお好み焼きは、「混ぜ焼き」や「上」と呼ばれるとか。

さらにこの辺りは広島風ともまた違い、“この街独特”のお好み焼きなんだそう。俄然、期待が高まります。

もう60年もこちらで営業している本多。昭和のノスタルジックな店構えと小窓から漂う焦げたソースの香りに店内で食べる気満々だったのだけど、このお店にはクーラーがない、と聞いてしばし躊躇します(なにせこの日は気温30度超え)。扇風機はあるけれどちらっと店内を覗いただけで鉄板の熱気がむわっと伝わって来ました。

入り口でまごまごしていると本多のおかみさんがニコニコと出てきてくれました。牧野さんはここの常連なのでにこやかに面白い会話が始まります。

 

「中で食べんの?」

「中で食べたら暑くて死ぬぅ」

「大丈夫、私生きてるから(笑)」

しばらく皆でどうするか相談したけれど、暑さよりも食い意地の方が勝ち、外で(外の方がほんの少し、涼しかった…)ダンボールを簡易テーブルに見立てて食べることにしました。

 

ウマカッタ。正直、夜ご飯にもう一度食べたいくらいウマカッタ。
麺の硬さよし、
ソースの味の深み、沁み具合よし、
ネギよし、イカよし、スジしみじみよし、
熱々でカリカリでふわふわでよし!

 

 

食べながら牧野さんにこの辺りのお好み焼きについて教えてもらいました。

 

・麺はそば、もしくはうどんが選べる(そば&うどんの“アベック”なるバージョンも!)

・混ぜ焼きを「上」というのは、使う粉の量が多いから。

・イカはデフォルトで入っている。

・油かすが入っているものが人気(本多は天かすのみ)。

・ソースは地元のツバメソースを使用(東九条に工場があります)。お店独自に隠し味を加えていることが多い。いっとき大手ソースメーカーが入って来たけれど地元ソースには太刀打ちできなかった。

  • 01

    01.「お好み焼き」はべた焼き、「お好み焼き・上」は混ぜ焼き。

  • 02

    02.このソースがうまいのなんの。ソースは甘・辛が選べます

  • 03

    03.行儀わるですみません。皆で我先にがっつきました。

01.「お好み焼き」はべた焼き、「お好み焼き・上」は混ぜ焼き。 02.このソースがうまいのなんの。ソースは甘・辛が選べます 03.行儀わるですみません。皆で我先にがっつきました。

などなど。

 

ツバメソースのちょっとピリ辛味をしみじみ味わいながら美味しく完食しました。長く地元民に愛されるお店だったけれど、牧野氏のコラムにもあるように最近は外国人観光客もふらりと来るようになったとか。まさしく「食いしん坊」に国境はなし、ですね。

昨日と今日と明日と、京都。

崇仁地区は大学の街になる予定ですが、ここ東九条は立地の良さからホテル産業が参入し始めているそうです。

 

今後どんどんホテルは増えていく予定だそうで、ここも数年もすればまたガラリと雰囲気が変わってしまうのかもしれません。

 

東九条も地元民の高齢化問題を抱えています。ホテル建設だけでは町の空洞化が懸念されるため、芸術の町を目指して「Theatre E9 Kyoto」というシアターが建築計画されているとか。

 

崇仁地区も東九条も、昨日(過去)まではガイドブックに載ることのない「誰も知らない京都」だったけれど、明日(未来)には「誰もが知る京都」の一部になることは多分、間違いないことです。

 

今回みた「今日の京都」は昨日と明日が混ざり始めた不思議なひと時。

10年後、20年後と記憶が薄れないようにとどめておきたいと思います。

<京都案内人>

牧野 広志TRAVELING COFFEE 店主

1966年生まれ。
94年渡仏、90年代をパリ ルーアン リヨンで暮らす。
2002年 帰国後、京都の新しい情報発信空間の提案者として文化と地域に密着中。

 

-TRAVELING COFFEE –
昭和2年築の木屋町 元・立誠小学校 職員室で営業していたTRAVELING COFFEE が耐震補強工事の為に高瀬川沿いに建てられた仮設の立誠図書館内で営業。
図書館の選書はブックディレクター「BACH」幅允孝氏。
珈琲はブレンド2種類に加え、シングルオリジンは京都府内の焙煎所を毎月選び焙煎家と話し合い常にオリジナルを4種類程オーダーメイド。

 

コラム:下町。
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Profile

  • 松尾 彩Columnist

    フリーランスのエディターとしてファッションからアウトドアまで幅広い雑誌・ムック・カタログなどで活動。現在はコラムニストとして主に旅紀行を執筆。また猫についてゆるく語る「ネコテキ」を小学館「しごとなでしこ」にて連載中。

  • 木村 巧Photographer

    1993年茨城県生まれ。在学中より、写真家青山裕企氏に師事。大学卒業と同時に独立。雑誌・書籍・テレビなど幅広いメディアでライブ写真が掲載される。グループ展やTOKYO ART BOOK FAIRなどで作品を発表している。春からURT編集部へ。