2018.10
特集 だれも知らない京都

レペゼン京都!!おもてなしといけずの謎

京都の謎めいた美しさの陰にいけずあり。まことしやかに伝わるそんな噂話。迷宮京都のなかなか手強い謎の一つ、“いけず”に火傷しないくらいに触れてみた。そこを超えたところにおもてなしをはじめとした本当の京都の姿があるのかもしれないからね。

10.31, 2018

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京都って、いけずやん?

さて、「誰も知らない京都」最終章。

できれば気づかないふりをして避けたいような、でも避けて通れない話題に触れてみたいと思います。

 

そう、「京都、いけずやん?」問題です。

 

観光客として訪れる京都なら良い部分だけを享受して帰ることができますが、いざ住んだり仕事などより密接に関わることになった時に立ちはだかる見えない壁があります。

 

「いけず」

 

関西圏にしばし住んでいたものとして「いけずやなぁ」という言葉はよく使います。

「いじわるだなぁ」という直接的な意味もあるけれど、
「もうちょっとこちらのわがまま聞いてくれてもいいやん」的な甘えた雰囲気で使うときもあります。普段からまあまあ便利に使ってます。

 

さて同じ関西圏でも“京のいけず”は別格。とはよく聞く話。

 

よく例えとしてあげられるのは
「ぶぶ漬けでも召し上がられます?」
その心は「はよぅ帰れ」

 

まあ多少の語弊とともに広がっている例題だけど
本質はそこではなくて
「直接、物事を言わない」かといって「言いたいことを我慢している訳でもない」という一見矛盾しているようでしてないようでしていることに慣れない人は戸惑いを覚えるってとこじゃないでしょうか。

 

言葉をオブラートどころか生八つ橋とか阿闍梨餅に包んで渡してくるようなあの謎の雰囲気。思わず美味しく食べると中からじわじわ何かが染み出してくるあの感じ。

 

 

もはやすっかり<京都人>な牧野さんも、大学のために18歳で入洛して以来「いけず」には若干やられたそうです。

 

「『いけたら行くわぁ』(行かない)、『雨がうるさくてよぉ聞こえない』(聞く気がない。もしくは騒音がうるさいなどを暗に言っている)なんてのは当たり前で、さっきまで一緒にいた人がいなくなったとたん残りの人が重箱の隅をつつき出すとか(笑)。
でもね、京都人以外は腹黒く感じるかもしれないけど、悪気なく本当はその人の事が好きなんですよね。そういう文化(笑)」。

 

そういえばこの前、居酒屋で相席になった人が京都のとある場所(仮にA)の人だったのですが、期せずして私もそのいけずを食らうことになりました。

 

縁あって相席ということでそこそこ話は盛り上がったし、今回の記事で京都取材に行く数日前だったので軽い気持ちで京都話を振ってみました。

 

「今度京都取材に行くんですよ」

 

「ほぅ。ええですなあ」

 

「えっと最初はBというところに行って」

 

「へえ、よう知りませんけどなぁ」

 

「次はCに行って」

 

「へえ、よう知りませんけどなぁ」

 

「…」

 

「…」

 

「…あっ。このおつまみ美味しいんでよければどうぞ」

 

「おおきに(にっこり)」

 

お酒も入っていたので、うっかり素直に“そうか、同じ京都でも知らない場所あるんだ”とか思って話題を変えたのですが、「よう知らない」という言葉の意味が「A以外は京都とは呼ばない(認めない)」だったと気付いたのは家路に帰る電車の中。

 

向こうにとっても暖簾に腕押し状態の会話だったのでしょうが、気づいたこちらもムンクの叫び状態です。

 

とまあ、こんなことはよくある話。

 

少し前に「京都ぎらい」(著・井上章一)という本がベストセラーになりました。

京都で生まれ育ったのにもかかわらず、中心部以外の場所だったために<洛外(ちなみに京都の中心部を洛中と言います)出身>とさげすまされた筆者の少々いじやけた心の声が非常に面白い本なのですが、この本、大阪など京都近郊の関西圏で「よう言ってくれた!」とばかりによく売れたそうです(笑)。それほど京都人のいけずはなんというか、「なんやあれ!よくわからないけど、怖い」的なイメージがあります。

京都のおもてなしの本当の意味

ただこのいけずが“バリア”のような役目をしている、と牧野さんは言います。

 

と、その前にもう一つ京都の文化といえば「おもてなし」があります。

「お・も・て・な・し」のフレーズのおかげで一躍有名になった単語ですが、サービスにおいて、日本的なたおやかさ、寛容さ、旺盛なサービス精神などをふんわりとまとめた言葉です。
ですが最近の京都ではこの「サービス精神」がどうやら一人歩きをしているようで…。

 

「正直京都のおもてなしは「過剰サービス」の方に向かっている気がします。外国人観光客も増えてきているけれど、“何を求めているか”を見極めるのが大切なんです。だから過剰サービスはおもてなしとは違う。寄り添いすぎてはいけない。その距離感を測るのに大切なのが「いけず」なんだと思います」

 

 

こんな話をしてくれました。

 

「例えば地方に行くと必ずカウンターのお寿司屋さんを予約するんです。
そうすると、その店の「おもてなし」がわかる。例えばその店にはメニューや値段表がなくて、「うちはこう(いう店ですから)」という(いけず的な)洗礼をまずは浴びる。で、刺身が出て焼きものが出て、握りが出て、この2時間の間にどうにかしようとこちらも色々話す。で、向こうが乗ってくると「○○の××っていう部分だよ」って頼んではいないけどいいものが出てきたり。ああ、受け入れられたなあって。そこにおもてなしを感じるんです。こちらも寄り添って、お互いに着地してゆく。もちろんそのバランスは難しいけどね」

 

先述の「いけずがバリアの役目を果たしている」というのもこのおもてなしに通じます。

 

牧野さんの話を例にすると、初めて行くお店なら、いけずされることなくメニューに種類や値段が書いてあれば確かに助かります。でもその代わりにお店の人に“値段や種類を聞くという会話”を諦めることになります。

 

何かのきっかけをスタートに会話を始めれば、「じゃあこういうのありますか?」「こんなのは好き?」などの会話が生まれるかもしれません。

そのやり取りは、その人だけに与えられる「おもてなし」。

 

「観光客だから」とひとくくりに「おもてなしセット」を押し付けられるよりも結果じんわりと心に響くものになります。というよりもそもそも「おもてなし」とは牧野さんの言うようにその人それぞれが「何を求めているか」を探って提供する、ある意味オーダーメイドなものが本来の姿。もちろんこれは京都に限らずですが。

 

お客の側に立てば、選ぶのは自由です。

ファストフード店で「お値段、メニューはこれ」「はい、私はこれにします」
でさっぱりと終わる日もあっていいし、
ちょっと面倒だけど、店主や店員さんと探り探りコミュニケーションを深めて、それこそ「メニューにないもの」までたどり着くか。

 

 

牧野さんの話を聞いて、「いけず」もまたそういうコミュニケーションの一つなのかも、と腑に落ちました。いけずという「バリア」を乗り越えないとただの意地悪ですが、乗り越えた先に本当の会話がある。

 

 

文句や嫌味だけでなくても、直接的で素直な言葉をやり取りするのは簡単です。でも簡単なので、そこで会話は終わってしまう。

 

「ぶぶ漬け」の例でも、「そろそろ夕飯時だから帰ってくれる?」「ああごめん」で終わるよりも、「(そろそろ帰ってほしいけど、夕飯時って気づいていないのかしら。とりあえず茶漬けでも進めて気がついてもらおう)ぶぶ漬けどうどす」
の(   )の間が、優しさであり、ユーモアであり、よく練られた皮肉であり、受取り手にもその“間”のぶん、余裕が生まれます。

 

そう、「いけず」をいうには、実は相手のことを深く考えないと言葉は出てきません。言いすぎても感じが悪いし、ゆるすぎれば伝わらない。

 

もともとは小さな町で、首都だったが故に戦火も多く、不必要な軋轢を避けるために必然に迫られたコミュにケーション方法だったと言われていますが、今は「その人とどこまで分かり合えるか」の距離を測る物差しみたいなものの側面もあります。

 

 

とまあ「いけず」の良い面もこうやってあるのですが、やっぱり慣れないと「京都っていけずやわあ」になっちゃいますけどね。もう京都って一体なんなんでしょうねーと話しているうちこんな話にたどり着いた。

 

「つまり京都は「レペゼン文化」なんですよね。自分たちの文化を、自らがレペゼン(代表)するっていう自負みたいなものなんだと思います。学区レペゼン、エリアレペゼン、京都レペゼン。京都ほどレペゼン文化なとこはないかも(笑)」

ちなみにレペゼンとはヒップホップの“レプリゼント”のこと。(「○○を代表する」という意味)ここでまさかの京都でヒップホップ!? でもなんだか「京都っぽさ」を表すのにぴったりな言葉だし、そう聞くとなんとなくいけずへの対象法の糸口も見えたような見えないような。

 

先述の「京都ぎらい」を改めて読み直すと、「京都(洛中)」の“学区レペゼン”ないけずを嫌いつつも、京都人以外から「京都」に関して勝手を言われたらムッとしてしまう”京都レペゼン”なボヤキも書いてあって、まさにレペゼン文化なんだなあとくすりとしてしまいました。

京都で0から1を見つけるということ

さて、今回『誰も知らない京都』を案内してくれた牧野さんは、TRAVELING  COFFEE 店主としての顔の他に、DJや食選人として日本や世界の人々をアテンドしたりと様々な立場で京都を自由に飛び回っています。

<京都の牧野>としての活躍は誰もが認める限り。だけどでもそこにたどり着くまでは“いけず”も超えて、“レペゼン”超えて。さらに「輪に入れてもらえないと思ったら、入れてもらうには嫌がることをやって。街で稼いだお金は街で使って」、そうやって様々な京都ハードルを超えて、今ではすっかり<京都の中>の人に。

「今はおもてなしする側としてどうしたらいいかこの三年くらい力を入れています。そうするとやっぱりローカル感が大切だな、自然とそういう風になる。

残念ながら京都は崩壊に向かってると思っています。それをどうにか止められないか。そのためには地域の文化に触れてちゃんと関わらないと。今はそこに来ています。

 

僕の仕事は「種まき」なんです。0から1を作る・育てるってこと。1から100はお金になるけど、0から1はお金にならない。でも0から1にネームバリューを見つけてあげれば、町は壊され難くなる。そこが一つの狙いでもあり、価値でもあります。

 

京都は独自的で閉鎖的なところがあり、守りに入っていることが多いんですよ。外に出て行く事をあまり進んでしない様な感じがある。本当は外からテコを動かしていかないといけないのに(創立)300年、500年が足り前で、その看板にお金を貸してくれることに甘んじて来た時代もあっただろうしね。今はそれじゃダメだと若い世代が動いています。だから“攻める”のは若手。「京都の牧野」として援護はするけど頑張るのは若手かなと。

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そして30年40年50年と何十年この町にいて、この町で死んでも、京都で生まれなければ生粋の京都人では無い。だからこそ京都を愛する気持ちは人一倍ある。

 

そして最後に牧野さんは笑って言った。

 

「僕は京都の永世中立国になろうかな(笑)」

<京都案内人>

牧野 広志 / TRAVELING COFFEE 店主

1966年生まれ。
94年渡仏、90年代をパリ ルーアン リヨンで暮らす。
2002年 帰国後、京都の新しい情報発信空間の提案者として文化と地域に密着中。

 

-TRAVELING COFFEE –
昭和2年築の木屋町 元・立誠小学校 職員室で営業していたTRAVELING COFFEE が耐震補強工事の為に高瀬川沿いに建てられた仮設の立誠図書館内で営業。
図書館の選書はブックディレクター「BACH」幅允孝氏。
珈琲はブレンド2種類に加え、シングルオリジンは京都府内の焙煎所を毎月選び焙煎家と話し合い常にオリジナルを4種類程オーダーメイド。

 

コラム:下町。
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Profile

  • 松尾 彩Columnist

    フリーランスのエディターとしてファッションからアウトドアまで幅広い雑誌・ムック・カタログなどで活動。現在はコラムニストとして主に旅紀行を執筆。また猫についてゆるく語る「ネコテキ」を小学館「しごとなでしこ」にて連載中。夫婦料理ユニット「サイトウのゴハン」レシピ担当。

  • 木村 巧Photographer

    1993年茨城県生まれ。在学中より、写真家青山裕企氏に師事。大学卒業と同時に独立。雑誌・書籍・テレビなど幅広いメディアでライブ写真が掲載される。グループ展やTOKYO ART BOOK FAIRなどで作品を発表している。春からURT編集部へ。

Information

  • ENJOY COFFEE TIME vol.9

    牧野さんが店主をつとめるTRAVELING COFFEEも参加する、京都のコーヒー屋が一堂に会するイベント『ENJOY COFFEE TIME vol.9』が11月23日(金)・24日(土)の二日間藤井大丸屋上にて開催! “京都のコーヒー”を心ゆくまで堪能あれ!

    URL:https://www.facebook.com/enjoycofeetime/